ちょっと歴史入門<8>大化の改新

2013-04-01 21:05:45 | ちょっと歴史入門

645年 大化の改新

中学で習った記憶はある・・・って方がほとんどだと思います。

 

蘇我入鹿・蝦夷親子を討ち、豪族中心の政治から

天皇中心の政治に移り変わった政治改革のことです。

 

 

645年6月12日

中大兄皇子と中臣鎌足は作戦を決行。

三韓の使者をもてなす儀式の場で、蘇我入鹿を討ちます。

これは正式には「乙巳の変(いっしのへん)」といいます。

この年の干支にちなんで、こう呼ばれてます。

 

その2日後・・・・・

645年6月14日

第35代皇極天皇は退位。中大兄皇子に位を譲りますが、

中臣鎌足と相談の結果、皇子は拒否。

叔父である軽皇子(皇極天皇の同母弟)が即位します。

第34代孝徳天皇です。

皇太子には中大兄皇子がつきます。


厩戸皇子が推古天皇の皇太子に立ち、政治を動かしていた事に習い、

中大兄皇子の皇太子の地位で、政治の実権を握ったようです。


645年6月19日

元号が初めて制定されます。

「大化元年」です。

 

645年12月

摂津の難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)に遷都します。

 

 

翌646(大化2)年、改新の詔が出されます。

何が出されたかというと・・・・・

天皇・王族・豪族が土地や人民を私有化をするのを廃止し、

天皇のもの(公地公民制)であると。

また戸籍が作られ(人民支配方式)、国から受田資格を得た貴族や人民が、

田を支給(班田収授法)され、亡くなると田は政府へ返還。

その田の大きさで税が決まります(税制制度)

都を定め、国・郡の境界を設定して、地方から都までの交通を整備しました。

 他にも聖徳太子が定めた「冠位十二階」を改定したり、薄葬礼があったり・・・・etc

この大化の改新から、大型古墳は無くなります。。゜(゜⊃Д;゜)゜。

 

この詔の発布をもって、「大化の改新」の始まり

だといわれていますが、乙巳の変からと判断する方もいます。

唐の律令制がモデルとされています。

 

天皇中心の中央集権体制をすすめていましたが、

決して順調ではありませんでした。

左右大臣の死去、謀反の疑いなどで、政情が不安定となり、

大きな政治改革が少なくなります。


650年、元号が「白雉」に変わり、

「大化の改新」は終わりを告げます。




次回は・・・・・「壬申の乱」



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<歴史入門シリーズ>

ちょっと歴史入門<1>先史時代

ちょっと歴史入門<2>倭国大乱

ちょっと歴史入門<3>空白の4世紀

ちょっと歴史入門<4>倭の五王

ちょっと歴史入門<5>古代国家の成立

ちょっと歴史入門<6>豪族の台頭

ちょっと歴史入門<7>乙巳の変

ちょっと歴史入門<まとめ・1>


 

 

 



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