第66代 一条天皇の第2皇子として誕生した敦成(あつひら)親王
時の権力者・藤原道長の外孫で、
藤原一族栄華の初花です。
時の天皇、第65代 三条天皇は道長の次女・妍子が入内、中宮となりますが、
皇子には恵まれず、さらに東宮時代からの女御・娍子を皇后に立后させたことなど、
道長と天皇は不仲でした。
そんな中、天皇が眼病を患い、道長は譲位を進めます。
1016年、三条天皇は第1皇子・敦明親王の立太子を条件に、譲位。
8歳の幼帝、第67代 後一条天皇が即位します。
1018年、天皇の元服を待っていたかのように、叔母で道長の三女・威子が入内。
9歳年上の妃でした。
摂政となった道長の権勢はすさまじく、
道長が亡くなった後も、後宮に他の妃が入ることはありませんでした。
そのため、天皇の子女は、章子内親王と馨子内親王の二人のみ。
1036年、突然の崩御。わずか29歳でした。
墓所は京都市左京区にある菩提樹院陵が治定されています。
同域内に娘である後冷泉天皇中宮・章子内親王も葬られています。
幼くして両親を亡くした章子内親王。
祖母である上東門院彰子に育てられたと言います。
この奥に生垣に囲まれている部分があるから・・・・
そこが中宮の陵墓かな?(憶測・・・)
父娘、仲良く眠っている陵墓です。
一度、行ってみて
京都市左京区 菩提樹院陵