生後7カ月で即位した第79代 六条天皇。
二条天皇の第一皇子・順仁親王として生まれますが、
即位してすぐ、父帝が崩御。
生母は身分の低いため、二条天皇の中宮・藤原育子が養母となります。
しかし父・二条天皇と対立していた祖父・後白河上皇が、実権を取り戻すと、
寵愛する平滋子が生んだ憲仁親王に譲位させます。
つまり甥から叔父への皇位の継承でした。
その在位はわずか2年半でした。
わずか3歳で上皇となった六条天皇は、元服することなく、13歳で崩御し、
清閑寺の小堂に土葬されました。
そして擁立された憲仁親王は、第80代 高倉天皇として即位。
後白河上皇による院政が敷かれます。
1171年、元服した天皇に、平清盛の娘・徳子の入内話が持ち上がります。
後白河上皇も政権強化の為、清盛の力が必要なため、入内を認めます。
1178年、清盛の念願の皇子が誕生します。
言仁親王、後の安徳天皇です。
1180年、言仁親王に譲位し、その翌年に20歳という若さで崩御。
清閑寺に運ばれ法華堂に葬られました。
実務をとる事もなく、周囲に翻弄された2人の天皇の陵墓は、
京都市東山区にあります。
中は、円墳(六条天皇:清閑寺陵)と
方墳(高倉天皇:後清閑寺陵)に分かれているとのこと。
この扉の向こうに・・・・・・・・入りたい・・・・・・
一度、行ってみて
京都市東山区 六条・高倉天皇陵