雑談の時に、彼女は「昔、近辺の人が沢山、大川で洗礼を受けたことがあると聞いたよ。あの人もこの人も・・。賢い○○さんに頼まれて受けたと言っていたのを聞いた。」そんな話をした後、ぽつんと「勿体ないね。」と言われた。「そうね。せっかく洗礼を受けても、イエスさまを知ることが出来なかったなんてね。」
バプテスマのヨハネから、バプテスマを受けた人々のうち、一体どれだけの人が、イエスさまを受け入れたのだろう・・。
最後にもう一度、ひとつのみことばを読み返して、イエスさまにとどまり続けることをお勧めしてお別れをした。

「『 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。』
心がきよい人と言われては、『私の心はきよいです』なんて誰も言えないでしょう。
『人の心は何よりも陰険で、それは直らない。』(エレミヤ17:9)と書かれています。では、なぜ、イエスさまはこう言われたのでしょか。それは、ご自分がその陰険な人の心を十字架の上であがない、『もう、きよい』と約束してくださるからです。
つまりこのことばは『きよい者に成りなさい』ではなくて、イエスさまの十字架のあがないを信じなさいと言うことです。そうすれば神を見る、つまりイエスさまを知ることが出来るという約束です。それはとても幸いなことです。今も生きて働く神、イエスさまといつもいっしょにいるという幸いです。」