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さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。(マタイ4:1)
イエスさまを悪魔の試みに連れて行ったのは御霊である。悪魔が主人公のようであるけれど、結果として私たちへのメッセージのために利用されたに過ぎない。
そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(マタイ4:2~4)
イエスさまは完全な人として空腹を知っていてくださる。だから群衆の空腹を心配してパンを与え、よみがえられて後にも弟子に「子供たちよ食べるものがありませんね」と網いっぱいの魚を獲らせ、魚とパンを準備してくださった。
主は「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ」て下さる方である。世を生きるための人の必要はすべて知っていてくださる。
ただ、食べると無くなるパンを求める群衆をイエスさまは嘆かれた。それはどれほど与え続けても滅びに至るものである。いのちを与えるのはみことばである。神の口から出る一つひとつのことばを真心から求めなければならないのだ。
すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、
言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」
イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」(マタイ4:5~7)
大切なことは「・・とも書いてある」である。みことばは膨大で一生かかっても覚えることはできないかもしれない。
しかし、みことばをマナのように朝毎に集めて食べ続けるなら、サタンが的外れなみことばによって誘惑する時も、聖霊の示されることばをはっきりと語って退けることができるのだ。
今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」(マタイ4:8~10)
イエスさまを神の子と証明することを諦めた悪魔は、人がこの世の君に仕える罠をしかけた。
神の子とされた私たちは、世に生きているときも世を去って後も同じことで、主を礼拝し主に仕える主のものである。
それゆえ、私たちはすでにみことばの約束によってすべてを得ているのである。世の高みや栄耀栄華を幾ら見せられても、神の子であることを知って居る者には何の誘惑にもならないのだ。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)