石ころ

「あなはわたしを愛しますか」(ヨハネの福音書21章)

 

イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現されたのは、これですでに三度目である。(14)

 

主はペテロの傷を癒やして新しくし、みこころに生きるために来られた。みこころを行うには、自分の使命に目が開かれる必要がある。
またそれを行ううちに、サタンに責たてられて弱り果てることがないように、イエスとの親密な関係による赦しの確信が必要である。

 

イエスはペテロに来られ、癒やしの中で人を獲る漁師としての具体的な働きを示された。神より発したことは神によって成り栄光が神に至るのであり、すべては主の御約束によって成ることを明確にするためである。

 

彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」(15)

 

交わりの食事の後、主はペテロの失敗を光りの中に曝された。イエスは以前の彼の誓いを用いて問われた。ペテロは、これまでは自分の愛の力によってイエスに付いて行くことを疑わなかったのだ。

ペテロがイエスに答えた。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」(マタイ26:33))

 

今ペテロはすべてを「あなたがご存じです」と答えて、自分の失敗のさばきを主にお任せしている。それは主に信頼する関係に在ってのことである。彼は共にいる間も失敗をしており、その度に赦しの中でイエスの愛を経験していたのである。

 

主はペテロに正解を求めて居られるわけではなく、神に拠り頼んで生きる謙遜を求めておられるのである。そうするなら、彼はどのような問題の中でも誤りの無い歩みをして、みこころを完成することが出来るからである。

 

神の愛を持って愛することが出来るか、それはもう彼が答えられることではなく、主により頼んでたまわることである。誰も自分の力によって主を愛することも御心を行うことも出来ないから。

 

イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」(16)

 

ペテロが、イエスを愛する愛さえも主から来ることを悟ったので、イエスは彼の愛による働きにご自分の羊たちをお任せになった。

 

世界中に福音を宣べ伝える神の子羊となる人々を、ペテロは育てて行く役割りを主から示されたのである。失敗の暴露の中で・・。それは、主の計画を成す働きを妨げるものからペテロを守るためである。主に隠れたものこそ敵の攻撃材料となるからである。

 

イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」(17)

 

イエスは三度彼に愛を問われたのは、彼が三度イエスを知らないと言って裏切ったからであるが、失敗から自分の弱さを悟り、イエスによって光りの中に晒されたことにより、自他の責めから完全に解放されるのである。

 

神の愛は他と比べる愛ではなく、神のご性質による完全な愛であって、一人ひとりを百パーセント愛する愛である。そのような愛は主にたまわらなければ人には無いけれど、ペテロは主が満たしてくださる愛によって、命懸けで子羊を愛する働きをするのである。

 

今も、主は私たちに問われる。「あなたはわたしを愛していますか」その時「主よ。それはあなたがご存じです。」と平安のうちに答え、聖霊を通して流れ来る神の愛のことばを伝えるのである。


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