人が新妻を迎えたときは、その人を戦に出してはならない。何の義務も負わせてはならない。彼は一年の間、自分の家のために自由の身になって、迎えた妻を喜ばせなければならない。(5)
結婚に対する神の祝福が溢れている。離縁状一つで去らせることが出来る妻の存在であるが、神はその妻を喜ばせるこを夫に命じ、たとえ戦の中に在っても時を備えられた。彼らは神の祝福を喜びつ、子孫を生み育て神の民の繁栄を現わすのである。
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。
同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。(エペソ5:25.28)
キリストは結婚をこのように勧めて祝福された。キリストが教会を愛された愛は、罪をあがなって神の子とするために、命が捧げられたほどの愛である。
また、自分のからだのように愛するという言葉の中には、夫自身が健やかな自己愛を持つことも必要なのである。それは互いを尊重し合う愛の基本である。
同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって神のものとされるためです。(Ⅰペテロ3:1)
妻には主の命令に従順して夫に従うときに、神の御救いが夫に成就するためであり、それはこの世で終わる愛ではなく、永遠の愛と成るためである。