
先日の台風で屋根の一部が飛ばされ、それは翌日修理してもらって解決したけれど、選択を迫られていると感じた時だった。
以前から息子たちと話してはいても結論が出せないこと、この先家をどうするかという問題だった。
すでに長男は家を持っていて次男も家を出ており、私の残りの時間を考えても今更のリフォームはあまり意味がない。次男は立て替えて住む事もちらっと話したことがあるが・・、それは長年の人間関係を惜しむ気持ちもあるからだろう。
台風によって改めて「どうする?」と結論を迫られたようで、起こったことは屋根の一部が飛んだという小さなことだけれど、決断を迫られていることの根は深く、考えるのはしんどいことなのである。
吹き荒れた暴風も治まり、停電で薄暗くなった部屋にいても仕方ないと表に出ると、ご近所さんも集まっておられ、なんかホッとして「飛ばされへんかったか」と声を掛けられた時、「エヘヘ・・」と笑っただけで緊張が解けて行った。
停電の原因箇所を教えてもらって見に行った時、電線に倒れ掛けて居る大木を一目見ただけで納得して、状況の分からない不安やいらだちは去った。
だから一人の暗い夜も、ゆらりと揺れるローソクの側で「なんとロマンチックなディナーだろう・・」なんてつぶやきながらチキンラーメンを食べる余裕も出来た。
被災された方が、困難な所であるにも関わらず「地元を離れたくない」と言われるのを聞いていたけれど、その気持ちが今回は身に染みてわかった。
それでも歳を取ることによって、何かにつけて今まで通りには行かなくなる事実もある。変化を受け入れる心の準備をせよ・・と、言われたように思った台風だった。
元気なままで身の回りを切り捨てて行くことも、それはそれで辛いことでもある。まあ、ギリギリまで粘ることにしよう。
此処には美しい四季があり、静かな優しさがあり、気心の知れた自由がある。40年以上住んだら古里なのだ。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。(ヨハネ14:2)
天の住まいを懐かしむのも事実であり、地上で共に生きることの愛着もまた事実。
その両方を心の中で行ったり来たりしつつ、この地にもイエスさまの祝福を求めながら、命の限りこのまま暮らしたいなぁ・・。