石ころ

献げもの(出エジプト25章)

 

主はモーセに告げられた。
「わたしに奉納物を携えて来るように、イスラエルの子らに告げよ。あなたがたは、すべて、進んで献げる心のある人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。(1~2)

 

「進んで献げる」ことは主を喜ぶ心から出たことであり、自ら願ってのことゆえに、その捧げものには人間的な混ぜ物がなく聖い。

 

アナニヤとサッピラの罪は此処にある。初代教会で進んで捧げられていた聖なる捧げものに、彼らは汚れを持ち込んだのだ。その動機は神を恐れずに人を恐れたことにある。

 

「受け取らなければならない」主を心から喜ぶ献げものは受け取らなければならない。拒むことは主に捧げることを願う者と、神の関係を遮ることになる。主に献げることは光栄なことであり祝福であるから。

 

種蒔く人に種と食べるためのパンを与えてくださる方は、あなたがたの種を備え、増やし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。(Ⅱコリント9:10)

 

創造主なる神を知らなければ、最も尊い方に捧げる誇らしいチャンスを得ず、また神を知ってはいても、御愛を経験していなければ進んで捧げることは出来ない。そう、進んで献げる人は神の愛を経験し続けているのだ。

 

主の求めに応えられるほどの光栄はない。たとえそれが二枚のレプタであってもイエスは見ておられた。


やもめの祝福のために、二枚のレプタを備えてくださったのは主である。彼女はそれをそのまま捧げてほめられた。貧しい者の幸いは此処にあり、多く持つ者の罠も此処にある。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事