あなたがたは、死人のために自分のからだに傷をつけてはならない。また自分の身に入れ墨をしてはならない。わたしは主である。(28)
キリスト者は生きる時も死ぬ時も、主の祝福であることを知っており、その平安の中でみこころに身を委ねるのである。神はすでに滅びの死から救い出してくださったのだ。
それでも死はしばしの別れとなり遺された者の悲しみは深いが、聖霊は、その悲しみの中でしか聴けないみことばを導いて、慰め、癒やし、御国の再会の望みを確信させてくださる。
私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。(ピリピ1:21)
神によって生かされている者が、死に抗議をしてその身を傷つける行為は、神のものであるいのちの支配に立ち入ることであり、天に召された人の栄化を地で損なわせる。
聖霊の臨在を知って居る者が、自分の身を傷つける入れ墨は神の宮を傷つけることであり、それは自我の現れである。
しかし、知らぬままにしたことで悔い改める者には、キリストがあがなってくださっている。御国に、傷の無い真っ新なからだを用意してくださったのである。
あなたがたはわたしの安息日を守り、わたしの聖所を恐れなければならない。わたしは主である。
あなたがたは霊媒や口寄せを頼りにしてはならない。彼らに尋ね、彼らによって汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。(30~31)
主により頼んで生きる者には日々が安息日である。みことばと、霊による絶えざるお交わり、神の家族の関係の中に生きているからである。主を喜ぶいのちの一刻一刻が礼拝である。
そのような関係に在って主が個々に持っておられるご計画を導かれて行く。明日を備えてくださるのは主であり、その導きは永遠まで絶えることがない。
キリスト者が占いによって明日の安心を得ようとするのは、聖霊によって導かれるみことばを経験しておらず、明日を主に委ねて安息することが出来ないからである。
聖霊のお導きを求めつつみことばを読み続ける時、主は霊の倉にみことばの確信を一つずつ積み上げさせてくださる。それはいのちの導きとなり、恐れのある日に進む道を指し示し、世の知らないキリストの平安に住まわせてくださるのだ。
いのちを与えるほどに慈しみ、良き将来を備え育てている父がありながら、他人に明日を尋ねて彷徨う子どもは、父の深い悲しみであり愚かさの極みである。
サタンの狙いは創造主を知らせず、愛も力も経験させないことである。創造主がその作品である一人ひとりの明日を備えて、永遠までのいのちを守られるのだ。
神の怒りは、御子のいのちに変えた祝福を受け取らず、永遠までのキリストの平安を、占いという溝に捨てるからである。
あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。(32)
誰であれその命を守っておられるのは主あり、主を恐れて敬うのである。老人に良くすることは明日の自分の安心となる。人は皆老いて死んでゆく者であり、老人の幸せを見ると良い思い出が残り、老いも死も嫌悪するものではないと知るからである。
あなたがたとともにいる寄留者は、あなたがたにとって、自分たちの国で生まれた一人のようにしなければならない。あなたはその人を自分自身のように愛さなければならない。あなたがたも、かつてエジプトの地では寄留の民だったからである。わたしはあなたがたの神、主である。(34)
神は選びの民を愛されたが、異邦人も同じように愛して、御子キリストの贖いを備えて子としてくださった。そこに何の差別も無く一つの御霊によってキリストのからだ、神の子としてくださるのである。
私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。(Ⅰコリント12:13)
あなたがたは、さばきにおいて不正をしてはならない。物差しにおいても、秤においても、分量においても。
正しい天秤、正しい重り石、正しい升、正しい容器を使わなければならない。わたしは、あなたがたをエジプトの地から導き出した、あなたがたの神、主である。(35~36)
神のさばきの正しさは、ひとり子イエスを人として十字架に掛けなければならないほどに、聖なるものである。
イスラエルの民をエジプトから救い出した神は、すべての人のために福音を備え、キリストの愛の秤で義と量ろうと待っておられる。
神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。(Ⅱコリント6:2)
必ず終わりの日が来る。一人ひとりも自分の命の終わりの日を知らず、今日は救い日である。神はキリストを通して助け、ご自分の愛を余すところなく知らせて下さった。
あなたがたは、わたしのすべての掟とすべての定めを守り、それらを行いなさい。わたしは主である。(37)
すべての掟もすべての定めも愛から命じられており、キリストの十字架のあがないによって、永遠のいのちのすべての必要は備えられている。