石ころ

宿営の外に出て御許に行こう(ヘブル13章)

 

イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした。(8~9)



救いは一つである。ユダヤ人にも異邦人にもキリスト者のアイデンティティは、キリストの十字架にある。皆そこで新しく生まれた者。
他に付け加えるものはなく、この比類無き完全な恵み故に他に誇りとするものも、きよめの手段なども必要ない。そのことは真に救われているなら、臨在の聖霊によって知っていることである。


だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)


私たちには一つの祭壇があります。幕屋で仕える者たちには、この祭壇から食べる権利がありません。
動物の血は、罪のための供え物として、大祭司によって聖所の中まで持って行かれますが、からだは宿営の外で焼かれるからです。
ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。(10~12)


キリストの十字架以外に何の頼むものもなく、救いは十字架によってすべてを完了してくださった。生まれつきのアイデンティティを脱ぎ捨てて、神の子とされた者は、造り主である神の故郷だけがすべてである。


ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。
私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。(13~14)


今問われることは、キリストが完了してくださったこと、救いの完成の中に生きているのかということ。今、どれほどに此処で安息しているかということである。
キリストの辱めが、私たちには一方的な恵みをもたらせ、救いの喜びとなり確実な天の訪れとなった。キリスト者は皆、その救いを着せられた一つである。


すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。(エペソ4:6)


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