彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。(8)
旧約聖書を読む時、イエス・キリストによるあがないがどれほどに偉大なことであり、今たまわっている恵みが、驚くべき救いの完成であることに感動する。
幕屋と幕屋のすべての備品は、わたしがあなたに示す型と全く同じように造らなければならない。
アカシヤ材の箱を作り、その長さを二キュビト半、幅を一キュビト半、高さを一キュビト半とする。
それに純金をかぶせる。その内側と外側にかぶせ、その周りに金の飾り縁を作る。
箱のために金の環を四つ鋳造し、その四隅の基部に取り付ける。一方の側に二つの環を、もう一方の側にもう二つの環を取り付ける。
また、アカシヤ材で棒を作り、それに金をかぶせる。(9~13)
すべて綿密に示されその通りに作るように命じられた。神の命令が明確である時、従順と材料と技術があれば、人にも完全なものを造り上げることはできる。
それゆえ信仰生活には、今日主が私に語られるみことばを聴き取る必要がある。一人ひとりの神のご計画を、聖霊に導かれて聖書から読み取るのである。
その『宥めの蓋』を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしの板を納める。
わたしはそこであなたと会見し、イスラエルの子らに向けてあなたに与える命令を、その『宥めの蓋』の上から、あかしの箱の上の二つのケルビムの間から、ことごとくあなたに語る。(21~22)
アダムが神のことばに背いた罪によって死ぬ者となり、生きる苦しみを背負った民に主が躾けなければならないことは、神の義を恐れるみことばへの従順であった。みことばに背くことは滅びることだからである。
よく注意して、山であなたに示された型どおりに作らなければならない。(40)
材料、サイズ、形式、使い方まで、聖所のすべてを緻密に指示されてある。そこで必要なのは、まず「よく注意して」聴くことである。みことばをよく注意して聴き取り、聞いたみことばを形にするときそこに主が住まわれるとある。
主のご指示によって、忠実なものを造ることにおいてはそれほど困難ではない。ただ、寸分違わない完全なものが作られても、それらは物に過ぎないことは歴史の事実である。
それは、みことばに従うための訓練であり、神を神とする関係に在って、生ける神を経験しつつ、神を愛するまでに育てられて行く過程である。
今キリストがすべてを完成してくださり、キリスト者を神の宮として、そのうちに三位一体の神が住んでいてくださるとある。
もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。(Ⅰコリント3:17)
しかし、キリスト者が神の宮とされるには、みことばに信頼しなければ完成しない。もし、自分を見てしまってあり得ないと思う時、みことばの約束もまぼろしのように曖昧なものとなり、主の臨在を味わうことがないからである。
イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。(へブル10:10)
幼子のようにキリストのみことばに留まる時に、キリスト者のうちに神の宮は完成する。汚れた良心の責めから解き放たれて、生き生きとキリストをあかしし続けるのは、聖霊の助けによって聖なる者とされた確信にあって、人を恐れる必要がなくなるからである。