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年頭に備えられたみことばは、主が戦いの前に準備してくださったご馳走のよう。
「いただきます」
真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、
また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、
(Ⅱコリント6:7~8)
みことばに留まってぶれることのない右手と、世で神の力によって働く左手。どちらも主のご計画を成し遂げるものである。
それによって、ほめられたりそしられたり・・、悪評も好評も、すべては神様のご計画による義の武器である。
あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。(エペソ2:20)
キリスト者は世に持ち上げられる者ではなく、地に叩き落とされることもない。キリストという礎石の上に建て上げられており、どんな時もその堅い基礎に釘づけられて生きているからである。
主に在って永遠の計画の中に備えられてあり、すべての必要はその時その時に準備される事を知って居る。
主を今日味わうなら、世で何が起ころうともこの身に何があろうとも、今日に続く明日であり、永遠まで主と居らせて頂くことに変わりのない者である。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。(詩編23:5)
「ごちそうさま」