神は仰せられた。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」すると、そのようになった。
神は乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを良しと見られた。
神は仰せられた。「地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ。」すると、そのようになった。
地は植物を、すなわち、種のできる草を種類ごとに、また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。神はそれを良しと見られた。
夕があり、朝があった。第三日。(9~13)
天地の成り立ちを知るときに人は神を悟ることが出来る。全能の神によって備えられた天地を見るた度に、その偉大な愛に満たされて自らの存在価値を悟るのである。
それゆえサタンは、人に神を離れて判断する賢さを与え、出自の知識に混乱をもたらせたのである。
神を離れサタンの賢さから発したものによって自らを、アメーバとか猿などと同じものとする知識によって生きる者とし、人の存在価値を甚だしく貶めさせた。
神に造られたアダムはその存在そのものに途方もない価値があり、創造された天地はその愛の深さ高さを現わす。
サタンの妬みはそこにある。存在そのものが祝福である人に対して、神に呪われるサタンは人に神に拠る成り立ちを知らせず、神の愛を無視しさせて、己と同じ永遠の滅びに引き込もうとしているのである。
神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。
彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。(ローマ1:20~21)