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「私たちが自分自身を愛するよりも、自分の子どもを大切に思うよりも、イエスさまは私たちをはるかに勝って、愛していてくださることを感謝いたします。」お祈りをしている間、彼女の麗しいすすり泣きが聞こえていた。
主は人を愛して愛して、満たして満たして、癒してくださるから、私たちはその愛に解かされて、聖霊に触れられればくずおれるようにもろく、無防備になってしてしまう。その時は、年を取っていても幼子のように泣き出してしまう。
今日は、ルカの福音書を23章32節から24章最後まで。そして、使徒から、イエスさまが天に上げられるところまで。先週の彼女の「イエスさまは霊でよみがえられたの?」という問いに答えるためにちょっと長かったけれど、みことばを読みつつ進める。私の方法で、私に与えられているものを使って、私の知っていることを伝えるだけ。
ちょっと早いかなと思ったけれど、今日で今年は終わりにするから、みことばが多くても読み返す時間は十分にあるだろう。お祈りをしている時に、主の臨在をはっきりと知ることが出来たので、今日、終ることで良かったのだと平安が与えられた。彼女には主が片時も離れずにいてくださる。
今年は繰り返し繰り返し、ほとんど十字架のお話ばかりしていた。でも、いつも感動してくださっていた。主のお導きにとても感謝、このことで私はいつも励まされていた。
交わりを続けることも大切だけど、主にあって私との間が空くことはちっとも問題ないと思う。誰であっても、いつでもひとりで主に向き合うことができるのだから。
「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」(ルカ24:32)
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