私はそのことばに感動をし、また、自分の十分でない準備にたじろいだ。
私もイエスさまに出会ったはじめの頃はそうだったなあ・・・、誰に強いられなくても、ひとりでみことばを読んでいた。祈りにも多くの時間を費やしていた。自然にそうしていた。今はそのころから比べれば、ずっと多くの恵みを受けて、はるかに主の大きさを経験しているのに、みことばや祈りに費やす時間は少なくなっている。中身は変化しているけれど、あの頃の自分を今でもほほえましく思っている。
「イエスさまは死なれたのにどうして?霊じゃないの?体があるの?」今日はマタイ28章の復活の箇所。マリヤ達がよみがえられたイエスさまを見て、喜んで御足を抱いて拝むところで質問された。「あははは・・、足があるものね。そう、イエスさまはからだを持ってよみがえられた、魚も食べられたよ。」来週はルカから見よう。
プリントはみことばを拡大して読みやすくしている。聖書をできるだけそのまま伝えたいから。ほとんどをみことばのままに。今週は、ちょっと多かったけれど、ヨハネ20章のプリントも読む。トマスに言われたイエスのことば「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」というみことばに
「私は信じるよ。この間も街へ行って道が不安だった時、『イエスさま。』って心の中で祈りながら歩いて迷うことがなかったよ。夜はいつでも感謝のお祈りをして眠るし、いつでもイエスさまのことを喜んでいる。」
「それは、みことば通りの生き方。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。というみことばのままだからすばらしいわ。」
「私が信じることで、みんなが幸せになって欲しいと思っているけれど、それは間違い?」「いいえ。あなたはイエスさまを信じることで変わったし、こんなふうに喜んでいるとき、ご主人もイエスさまを知ることが出来るでしょう。娘さんだって孫さんだってあなたを通してイエスさまを知ること出来るから大丈夫。
永遠のいのちは、ひとりひとりがイエスさまを信じる信仰によって頂くものだけど、それはあなたがイエスさまを喜んで愛して居ることで、イエスさまが家族を導いてくださるよ。私たちが無理に家族に教えなくても一緒に生活をしている中で、イエスさまがご自分で証をしてくださるから大丈夫。」
本当に主はとても憐れみ深いご真実な御方。私たちを知り尽くして居られるから、主がご自身を証ししてくださる。どうぞ御名が崇められますように。
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「あなたの指をここにつけて、わたしの手をみなさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)