重力に挑んでみる?

体力には自信あり。韓国語もぼちぼち勉強中。海外旅行も好き。ホイさん応援中。現役でバレーに燃える体育会系主婦です^^

韓国ミーハー旅行記 番外編

2014-08-19 11:32:39 | god、ホイさん

帰って来てから、別にコンサートへ行った友人から新聞が送られてきました。
送るから内容教えてと。

Sさんのススメで私も2種類ほど新聞を持ち帰りましたが、これが一番記事が大きいかも。

ということで新聞訳してみました。




以下訳。



godもファンも幸せだった涙の150

 (写真)12日午後ソウルの蚕室総合運動場サブ競技場のステージで踊るgod

関節と体力は以前とは同じではないが‘国民グループ’の再結成という実話はずっしりと重かった。
左側からキムテウ、デニーアン、ユンゲサン、ソンホヨン、パクジュニョン

結成15周年を迎え再結成コンサート
1万5千個の風船は依然空色だったが、風船の下の少女は変わっていた。
12日夕方ソウルの蚕室総合運動場サブ競技場で開かれた、男性グループ‘god’の
15周年再結成コンサートが涙の海に変わるのに数分はかからなかった。

 

午後8時16分、ステージ両側に掛けられた大型の時計の針が逆に回り始めるなり客席が湧き始めた。
少しして幕が上がったステージにはキムテウ、デニーアン、パクジュニョンは勿論、
昨年自殺を図り暗い時間を送ったソンホヨン、2004年俳優を夢見てgodを脱退したユンゲサンもいた。

godは2時間30分の間、20曲を消化しながらステージの上で辛そうな顔も見せた。

2004年ユンゲサン脱退後10年ぶりに完全体で帰ってきた
空色風船15000個ぎっしり
歌とラップは全盛期そのまま

‘フライデーナイト’、‘観察’ 、‘哀愁’の群舞が終わり疲労困憊し座り込んだりもした。
歌やラップは全盛期の様だった。

1999年デビューしたgodは韓国のアイドルグループの系譜の独特な位置にいた。
アイドル第1世代の‘H.O.T.’、‘ジェクスキス’、‘神話’の次に登場したアイドル韓流を起こした
‘東方神起’(2004年デビュー)以前まで男性グループ時代の架け橋の役割をした。

‘お母さんへ’、‘嘘’、‘道’など感性的な曲で老若男女を引き込み、‘国民歌手’ではなく
‘国民グループ’という造語を作り出した。

バラエティ番組‘godの育児日記’を通し‘お姉さんファン’‘叔母さんファン’時代を起こし、
‘アイドルグループを売るならリアリティ番組を撮れ’というヒット公式も作った。

デビュー当時10代だった末っ子キムテウは2人の娘の父になった。
2004年ユンゲサン脱退後2005年4人組で7集を出し、その年12月別れのコンサートをした
godは公演後半にメンバー5人がみんな集まったという意味で‘g5d’という新しい文字を作り出した。

ユンゲサンがビデオレターを通しメンバーとファンみんなに感謝を伝え
「今日はとても幸せな、ただの‘普通の日’(godの歌のタイトル)と言うとメンバーと
ファンすべてがしばらくの間、涙を止められなかった。

今回の再結成には音楽企画社を作り、歌手と製作者の道を歩むキムテウの努力が大きく作用した。
最近出した8集の共同プロデューサーも務めたキムテウは公演後記者と会い、
「変わらないファンたちの熱気が兄貴たちを説得したが、一番大きな力になった」
と言いながら
「8月まで全国ツアーを終えた後、また各自の活動をすることになるが、godとしての
公演とアルバム活動のため、話し合いをしている」と話した。

最近、向精神性医薬品‘ゾルピデム’を無断服用していた容疑で検察の捜査を受けたソンホヨンは事務所を通し、
「昨年の事故(恋人死亡の後自殺を図る)以降、それ以上睡眠薬(ゾルピデム)を服用していなかった。
最近薬物検査でも明確に判明した」と伝えた。

京畿河南から来た、イヨギョンさん(28)は
「godのデビューの時、小学生だったけどいつの間にか社会人になった。子供の頃は、
少し行き過ぎた歌詞がまた別の意味で近くなった」
と言いながら
「最近のアイドルグループも素敵だけど、godの歌詞や歌が与えてくれる情緒的な響きは特別だ」と話した。


‘88年 ボンジョヴィ’と‘99年 god’
アメリカ・ニュージャージーで生まれたヴォーカリスト ジョン・ボン・ジョヴィ(52)が
率いたグループ ボンジョヴィの1988年のアルバム‘ニュージャージー’(写真)…。
韓国式に言うならバンド‘チョンソ’の‘京畿道’のアルバムのようだ。

俗っぽい言葉で88年度, すなわち 1988年にはこんな古典的な名づけも通じた。
小学校運動場で ‘手に手を取り合って’を歌い童心を育てたその年にクィーンズライクの
‘オペレーション: マインドクライム’, メタリカの ‘ … And Justice for All ’,
ガンズ・アンド・ローゼズの ‘GN'Rライズ’ のようなカッコイイなアルバムがあふれた。

へビーメタルの夕暮れを予言するようにジェーンズ・アディクションの ‘ナッシングス・ショッキング
’(何も衝撃的ではない)が出たのもG-DRAGON が生まれたこの年の事だ。

とにかくまさにこの京畿道, いや ‘ニュージャージー’ のアルバムは ‘Lay Your Hands on Me’
‘Bad Medicine’ ‘Born to Be My Baby’と続く初めの3曲からクリーンナップトリオのように聞き手を強打する。

 ポップメタルの詩編だ。
‘You give love a bad name’ ‘Livin' on a Prayer’が入った, 86アジア景気の年に出た
Slippery When Wet’のアルバムとボンジョヴィの二大出世作だ。

昨日は99年度(1999年)にデビューしたアイドル godの 15周年再結成コンサートを見た。
当時は少し格好よく聞こえた god メンバーたちの昔ながらのラップを聞きながら
ボンジョヴィとギタリスト・リーチサムボラの昔のステージマナーが思い浮かんだ。

ネック(首)が2~3ずつ下がった電子ギターを両方へ振ったり、マイクスタンドをぐるぐる
回して観客を沸かせた時代。
そんな誇張されたアクションにファンがどれだけ真摯な熱狂を送るのかは ‘(I'll Be There For You’
のミュージックビデオの 4分 28秒ほどで女性観客が頭を掻きむしる場面を見れば実感することができる。

最近ボンジョヴィの歴史的な作品 ‘ニュージャージー’が音質補正を経てまた発売された。
デラックスバージョンアルバムの2番目のCDには当時録音したが正式アルバムに入らなかった13曲が
さらに追加されたが大して良くない。

正規収録曲の編曲とミキシング, マスタリングにどれだけ多くの精力を注いだ力作なのかが逆説的に分かる。
11日, ‘66’や‘77’に近い伝説的なミュージシャンであるドラマー兼プロデューサー
トミー・ラモーン(ラモンス)とジャズベーシスト チャーリー・ヘイデンが相次いで死んだ。
賭博でそうである様に, 同じ数字二つは常に何か期待感を持たせるが…。

長い時間が経た後、僕らはどんな ‘00’‘11’ の音楽を記憶するのか。

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韓国ミーハー旅行記③

2014-08-19 10:26:31 | god、ホイさん

もうすぐ夏の家族旅行もあるので、急いで今回の旅行記を仕上げてしまいましょう。



さぁ、いよいよ今回の旅行のメインイベント、godコンサートです。
内容については、記事もたくさん出てますし、他の方のブログなんかで詳しく書いてありますので
さらっと行きたいと思います。


仁川観光から会場に向かいます。
会場は蚕室総合運動場サブ競技場。


地下鉄の駅を降りると既にgodカラーの水色でいっぱい。
オフィシャルグッズが販売されていますが、駅の構内には勝手に作ったグッズを売る
おじさんやおばさんでいっぱい。

ペンライトとかこちらのが安いので、こっちを持ってる人とかも多かったですね。



会場到着。
テンション上がります


グッズ売り場へ。


8時開演で、4時前には着いたと思うんですが、既に売り切れのものもいくつか。
このロボットの絵はリーダーのデザインで、色んな思いのこもったデザインらしいですが、
ん~、微妙…。(アニキファンの方すいません)

今回行けなかった友達にキャップでもと思ったんですが売り切れでした。
お土産に日常生活で使えそうなカードケースと記念にペンライトを購入。
カードケースと侮ることなかれ、17,000Wもしました。
高くね?


CDも購入し荷物も増えたので一旦ホテルに戻ります。


駅から会場への道中、グッズ売り場の案内のパネル。
メンバー1人1人いました。

さすがに俳優活動をしてるケサンはファン層も幅広いのでしょうね~。
歌手活動も久しぶりということもあってかと思いますが、このパネルと一緒に写真を撮るのに
長蛇の列でした。


なかなか見つけられなかったホヨン発見!   ←Sさんが。

Sさん、膝が悪いって言ってんのに、気付いたらSさん置き去りで走ってました、私。


もちろん並びました。写真も一緒に撮りました。載っけませんけどね。
みんなたくさん並んでくれててよかった。ホッ。


この日のホテルは、江南のアールヌーボー。
帰り、終電間に合わない可能性もあるので、なるべく会場の近くでと思い、駅2つのここに。





ちょっと散らかしてますが…。
とても広くてよかったですよ。

ホテルというより、レジデンス系ですかね。
駅からも近いし、キレイだし、近くにカフェはたくさんあって凄くよかったです。

が、近くにお土産買えるようなスーパーがなくて、それがちょっと不便かも。
金浦なら、帰りにロッテマート寄れるので別にいいんですけどね。


一休みするうちに、チケットを譲ってもらったホイペン仲間の方から連絡が入り、
1時間前の7時に待ち合わせのつもりでしたが、
「もっと早く来た方がいいと思う。」
ってことで、6時前に出発。


チケットを受け取り、前日もコンサート参加の方から注意事項もあれこれ教えてもらいました。

私とSさんは席は別々なので、Sさんを先に並んでいる列まで送ります。
その途中、韓国のファンの方から、ファンイベントのプラカード(?)を受け取ります。

アンコールの時に掲げてほしいと。
水色のカードに
「2度と別れないようにしよう」と。

ヤバイ泣けてきた。


Sさんを送り私も席に向かいます。


開演前。遠い…



最初に書いた通り、内容は省略。
でも、ゲストはPSYだし、JYPや後輩の2PM、スーパージュニア、IU等たくさん見に来てたようで、
さすがgod。

インスニさんも見た気がしたんですが、記事にはなってなかったかな。

帰ってから、子供に
「ゲストでPSYが来てさ~」
と興奮気味に報告すると
「誰それ?」
「江南スタイルの人じゃん」
「知らね」
と冷たくあしらわれました。


そっか知らないのか。


膝が心配だったSさんは、スタンディング席でしたが、若い子に埋もれてあまり見えなくても、
開演前から5~6時間立ちっぱなしでも、凄く楽しかったそうです。
よかった。


5人揃った初めてのgodコンサート。
席が遠くて、本物は少ししか見えなくても、本当に楽しくて感動したコンサートでした。
来てよかった。




そうそう、開演前、スタッフの若いお兄さんに
「オモニ(お母さん)」
と呼ばれました。


オモニ?!
確かに中学生の子を持つ母ですけどね。
でも、コンサート会場には、乙女心いっぱいで行ってるわけですよ。

その私にオモニと…。

おばさんと呼ばれるのとどちらがいいかとも考えました。
日本では、「おばさん」と呼ばれるより「お母さん」と呼ばれる年齢層のが高いイメージありません?
私の中ではそんなイメージです。


でも後から韓国人に聞いた説明では、
「学生でもないし、誰なのかを知っているわけでもないし、そんな意味でオモニは十分
丁寧で尊敬の意味も込めて呼んでくれたんだと思うよ。」
とのことでした。

そういうことなら仕方ないのか…。
でも若い兄ちゃんに「お母さん」と呼ばれるのはショックなもんですね。




翌朝、知り合いの韓国人が空港まで送ってくれると言うので、お言葉に甘えることにしました。
ちょっと遅れて来たので、到着がぎりぎりになってしまい、お土産を買いに行った
ロッテマートでも大慌てでした。

ろくに選べず、目についた物をパパッと購入。

チェックイン後は少し時間があったので、フードコートでお昼を食べました。



海鮮チャンポン。
日本のチャンポンとは全然違いますね~。

よくテレビを見ていると、
「ジャジャンミョンかチャンポンか」
という選択があって、興味はあったんですが、食べたことなかったので、これにしてみました。


辛いですけど美味しかったですよ。
さらに辛いめちゃくちゃ辛い「つなみチャンポン」と言うのもあるそうです。



私は無理そうですが、今度旦那にでも食べさせてみるか…。



慌ただしく過ぎた今回の韓国旅行でしたが、家族や普通の友達とは行けないような
超ミーハーな旅行ができてとても楽しかったです。

たまにはこんなのもいいかも。



終わり。

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