これからはしばらく、ハンガリーを離れ、いろんな国の教会(寺院)を見て歩くことにしたい。
と言っても、宗教的な興味も意図もまったく無く、ただ単に、その特異な建造物を被写体に
したいという極めて単純な思慮からである。
まず、最初に辿り着いたメキシコは、中央部に位置するSan Luis Potoshi(サン・ルイス・
ポトシ)という中堅都市の教会から訪ねることにした。
メキシコは、国内人口の90%以上がクリスチャンであることより、至る所に教会が点在して
いる。 但し、ハンガリーでもそうであったが、必ずしも皆が皆、毎週日曜日に教会に出掛けて
礼拝するわけではなく、むしろ、ほとんど特別な日以外は行ったことのない人が多いらしい。
それは仏教に近い日本と似ているような気もする。
ここサン・ルイス・ポトシという町は、423年前の1592年に、スペイン人ミグエル・カルデラ船長
とフェリア・ディエゴによって創立された。
勿論、それ以前にもアルテカ帝国なるものが存在していたわけであるからネイテイブ・インデアン
が居住していて、村などはあった筈である。
今ある町の歴史が1592年からということであろう。
ついつい、その時、日本はどうだったんだろうと考えしまう。
1592年と云えば、豊臣秀吉の朝鮮出兵が始まった年である。 この1回目の出兵は文禄の役
と称され、NHKの大河ドラマの「黒田官兵衛」をはじめとした、そうそうたる大名達が海を渡った。
5年後には、第2回目の出兵を敢行し、これを慶長の役と言い、1598年の秀吉の死で、日本の
海外侵攻は幕を閉じると共に、疲弊した豊臣政権は凋落の一歩を辿ったのであった。
メキシコを含めた南米へのスペイン、ポルトガルの侵攻とは時を同じくするが、結果は対照的で
あったのは非常に興味深い点である。
サン・ルイス・ポトシ市の現在の町の規模は、同名の州の州都であり、近郊を合わせると、人口
は70万人弱で、メキシコ国内でも10指に入ろうかという大きさであるが、残念ながら日本には
馴染みは薄いようだ。 メキシコのほゞ、真ん中に位置するので、標高は1877mの高地で、
サン・ルイス谷に囲まれた肥沃な土地を持った農業地帯で、16世紀には銀山開発で発展し
鉱山都市として栄えた。
前置きはこのくらいにして、目指す教会を訪ねることにする。
#1 Footstep ; サン・ルイス・ポトシの大聖堂 (Catedreal)
⑥ アルマス広場 (中央広場) ⑦ 市庁舎 ⑧ 州政府官邸 ⑩ 大聖堂
建物自体は1674年に建てられ、教会として使われたのは1730年からである。
バロック建築様式で、前面の壁には、12人の使徒の大理石彫像が飾られており、ローマにある
St. John Letran Basilica にある巨大な12使徒の彫像のコピーと言われている。
St. John Letran Basilica ; ローマ教皇聖メルキアテスの時代に建てられた (311-314年)
世界で最も古い教会と云われている。 (イタリア、ローマに存在)
面白いことにこれと同じ流れを汲む教会がハンガリーにも有る。 72番札所で取り上げた 「Ják の
聖ジョルジ教会」でやはり建物の前面に12人の使徒が飾られておりハンガリー屈指の教会である。
ハンガリーの教会は、1220~1251年の建造であったので、こちらの方が新しいことになる。
お互いに遠く離れた地に、同じ思想の物が存在することに人類の素晴らしさと世界の狭さに驚嘆する
ばかりである。
San Luis Potosi 大聖堂 Ják 聖ジョルジ教会
正門 中央頂上部 南側鐘塔
南門 南側壁
祭壇 北側廊 副祭壇1
副祭壇2 副祭壇3 副祭壇4
説教台
この大聖堂のあるアルマス広場(中央広場)の真ん中に八角形のあずまやが1948年に、
以前の鉄製の物からピンク色の石灰岩を使った物に置き換えられ、著名な音楽家を招いて
演奏会が催されてきた。 この広場を向かい合わせた形で市庁舎と州政府官邸があり、
まさに、ここが市の中心位置と云える。
八角形のあずまや 大聖堂と隣接した市庁舎
州政府官邸
これで、「メキシコの教会巡り」「#1 Footstep サン・ルイス・ポトシの大聖堂」は、お終いです。