メキシコシティより、東へ120km、プエブラ州の州都プエブラ・デ・サラゴサが正式名称で
ある。 人口約149万人はメキシコでは4番目に大きい都市である。 メキシコシティとメキシコ
湾沿いの港町ベラクルスを結ぶ中継地として古くから栄えてきたと共に、芸術的にはタラベラ焼き
の陶器の町としても有名。 植民地時代の旧市街歴史地区は1987年に、ユネスコの世界文化遺産
に登録された。
1.カテドラル/大聖堂 (Catedral) ... Map # 1
エルナン・コルテス率いるスペイン軍によって1521年にアステカ王国の崩壊後、フランシスコ会
によってメキシコで最初に作られた街がプエブラであった(1531年)。
当時、教区の司教座は隣なりの州トラスカラにあったが、それを新しい街プエブラに移すため、カテド
ラル建築が1575年に始まり、途中で中断もあったが1640年に任命されスペインから派遣された
ファン・デ・パラフォックス・メンドーサ司教の尽力で、1649年に大聖堂として活動が始まった。
但し、現在のファサード(1690年完成)やバジリカ(鐘楼)はなかった。
市庁舎側(北側)よりソカロを通して見た大聖堂。
柱の上の至る所に天使の像が羽ばたいており、「天使の町」と呼ばれる所以。
北側塔(左)は1678年に、南側塔(右)は1768年に完成。鐘楼だけで90年間が掛かって
いる。 塔の高さは70mで、鐘楼としてはメキシコ随一の高さである。
ファサードには、火山の国、火成岩を使用。
主祭壇
教会中央部に設置された大オルガン
石畳のレフォルマ通り(メイン通り)とライトアップされた市庁舎がコロニアルな景観を醸し出している。
2.サント・ドミンゴ教会 (Iglesia de Santo Domingo) ...Map # 5
ソカロから5月5日通りを2ブロック北に向かうとサント・ドミンゴ教会がある。
教会は1552年~1659年に、大天使ミカエルを祀るために建立された。
<5月5日の由来>
フランス軍がメキシコを攻めて来たのは1861年~1867であったが、メキシコ軍が 1862年
5月5日の「プエブラの戦い」でフランス軍を撃破した戦勝記念日である。
但し、勝利もこの最初だけで、その後はフランスの侵入を許し、マクシミリアン皇帝の統治が
1864年~1867年まで続く。...関連記事は、前述の「ケレタロ」教会めぐりを参照ください。
メキシコでは、この一時的な勝利を国を上げて祝い、国の祝日となっている。
右側がサント・ドミンゴ教会、左側ドーム部がロザリオ礼拝堂である。
サント・ドミンゴ教会;聖人像が居並ぶ主祭壇。
聖歌隊席(教会入口側)
教会の主祭壇の左側に付設されているのがロザリオ礼拝堂である。
聖母マリアを祀るために1690年に増築された。
煌びやかな丸天井(ドーム)
周りから多くの天使達が聖母マリアを見守り、支えている。
聖母マリアはロザリオを修道会の創始者である聖人ドミンゴに与えたという伝説より、ドミニコ会
の人達にとっての聖母は強い信仰の対象となっていた。(ロザリオ礼拝堂の増築の理由)
3.グアダルーペ聖母教会 (Templo de our Lady of Guadalupe)...Map # 6
パセオ・ブラボー広場(遊歩道)の北側に、1898年に建てられた。
パセオ・ブラボー広場には、街の創始者や功労者、メキシコ独立の英雄に捧げる記念碑等を建て、
メモリアル広場として、且つ、市民の憩いの場にもなっている。
タラベラ焼きのタイルで覆われたファサード
パセオ・ブラボー広場から見たライトアップされた聖母グアダルーペ教会
祭壇、壁面には聖母グアダルーペの画像一色
4・サン・マルコス教区教会 (Parroquia de san Marcos Evangelista) ...Map # 7
教会のオリジナルは、街の創始者のひとりであった St.Blaise 司教の修道院であったが、
1675年より福音伝道(エバンゲリスト)教会として活動している。
タラベラ焼きタイルで覆われたファサード
5.聖三位一体教会 (Templo de Santisma Trinidad) ...Map # 8
フランシスコ会修道女のための修道院として、1670年~1673年に建立。
教会の正面にプエブラの街つくりの場面を描いたタラベラ焼きタイルは観光名物のひとつ。
これで、メキシコ「天使の町プエブラ」の教会めぐりはお終い。