電車はフヴェーネェシ (Fövényes) 駅を過ぎ、バラトンアカリ (Balatonakali) に向かう。
フヴェーネェシ駅 フヴェーネシ駅~バラトンアカリ駅中間点を走る電車
バラトンアカリ駅(正式には、Balatonakali-Dörgicse) ローマカトリック教会(左、1789年建立)と
駅の向こうに教会の屋根が見える。 ルター派教会(右、1825年建立)が軒を並べている。
バラトンアカリ駅から真っ直ぐ伸びた山間の道を4kmほど登ると、アルパード時代に隆盛を極めたドゥルギチェ
(Dörgicse) 村がある。 この周辺には数多くの現役の教会と教会遺跡が点在し風光明媚な所である。
教会詳細に関しては、ホームページ「バラトン遍路の旅」に譲りたい。 最終頁にアドレスをリンク。
ドゥルギチェ村からバラトン湖を望む。 村の人口は290人、16-17世紀にはオスマントルコとの激戦地帯。
道の最高峰(海抜399m)の コシュート展望台(Kossuth-kilátó) 付近からの眺めは千金の価値あり。
電車は次の駅、ザンカ(正式には Zánka-Köveskál) に到着。
ザンカには美しい中世の教会が残っている。 オリジナルの教会はアルパード時代の12-13世紀に建立され
たが、オスマントルコ軍の襲撃で破壊され、1786年にバロック様式で再建された。
教会を過ぎ、更に進むと、いよいよバラトン最大の景勝地カーリー・メデンツェ (Káli-Medence) に入る。
ヘジェシ・ツー (Hegyes-tű) “針の山” 付近は、ピパチ(芥子の花)の群生地である。
次の駅は、バラトンセペスド (Balatonszepezd) である。
駅の向こうに見える教会は中世の教会。 聖イストヴァン教会で12-13世紀に建立のローマカトリック。
当初はゴシック様式であったが18世紀にバロックで再建。
村はオスマントルコ軍によって、完全に破壊され、18世紀にドイツ人達によって再建。 2つの新しい
プロテスタント教会が建てられ綺麗に整備された。 ルター派(左)とカルヴィン派(右)の教会である。
次の駅、セペスドフルドゥ (Szepeydfürdő) を通貨すると、リーフフルプ (Révfülöp) に続く。
ここはカーリー・メデンツェの表玄関ということもあって、村の人口も1200人ほどで他の村に
比べ多い。 駅の向かいの湖岸には1211年に開業したフェリーの乗り場が現在も使われている。
セペスドフルドゥ駅 リーフフルプ駅
フェリー乗り場
線路脇には、オスマントルコ軍によって破壊された13世紀の教会遺跡が残っているが、復元が一向に進まない。
これで、「バラトンの車窓から」(8)バラトンアカリ、ザンカは、お終いです。