ドゥブロヴニク市の人口は43,000人ほどでクロアチア国内では11番目である。
市街地には28,000人ほどが住んでいる。町の起源は他のアドリア海沿岸の都市と同様、
4~5世紀のローマ帝国の侵攻から都市化が本格的に始まった。
他とちょっと違う点は、6世紀に東ゴート王国が崩壊後、ビザンチン(東ローマ)帝国
→ヴェネツィア共和国の支配下の後、1358~1808年まで海洋独立国家ラグーサ共和国
として発展を遂げた。 その後は他の都市と大差ない歴史をたどる。
但し、1667年に襲った壊滅的な大地震と、1991年のユーゴスラビアからの独立戦争で
歴史的な建造物の大半は破壊され、世界遺産存続の為に1995年以降に復興、再建された。
<旧市街マップ>
◆ ピレ門
旧市街には4つの門があるが、正門と云ったらこの門であろう。
門の上でドゥブロヴニクの守護聖人である聖ヴラホの彫像が出迎えてくれる。
◆ 聖救世主教会 (St. Saviour Church)
ピレ門を入って、城壁を潜るとまず目に飛び込んで来るのが、真っすぐ伸びた
メイン通りのプラツァ通りで、その始まりが聖救世主教会である。
1528年にルネサンス様式で建てられ、1667年の大地震で残った数少ない一つである。
さすがにファサードの丸窓、彫刻は年季物。
❷ フランシスコ会修道院
14世紀に城壁の外に建てられたが、外敵の攻撃から守る為に、今の場所に移されたが、
現在の物は1667年の大地震の後に再建されたものである。
右側の門には、イエスを抱きかかえる聖母マリアの彫刻等が目を引く。
❸ オノフリオの大噴水
聖救世主教会の前の広場にある噴水というか水汲み場というか。
ユニークな蛇口がいっぱい。
➍ 聖クレア修道院
13世紀末に女子修道院として建てられ、孤児院としても使われてきた。大地震後に再建。
メインのプラツァ通りを東に下って行くと、中世にタイムスリップしたような町並みが満喫
出来る。 時計台付き鐘楼に突き当たった所が、最も賑わうルジャ広場(夏祭りは超賑わい)
鐘楼と鐘突き男ゼレナツ
プラツァ通りを横に交差する多くの細い路地
❿ スポンザ宮殿
1516年に通関所や倉庫としてルネサンス様式で建てられたが、現在は公文書館で使用。
内部
⓬ 聖ヴラホ(聖ブラシウス)教会
ドゥブロヴニクの守護聖人ヴラホに献堂する為に建てられた。
現在の教会は1667年の大地震の後に、1715年にバロック様式で再建されたものである。
⓭ ドミニコ会修道院
ロマネスク、ゴシック、ルネサンス様式を折衷した構想で15世紀に建てられた。
門は美しいゴシック様式。
⓮ 旧総督邸 ⓯ 聖母被昇天大聖堂
左が旧総督邸でラグーサ共和国時代の総督住居と行政関係庁舎。 向うが大聖堂の側面
オリジナルの大聖堂は1192年に建てられたらしいが、大地震後17世紀に再建された。
グンドゥリチ広場;大聖堂の西隣なりに有って、午前中は青空市場が近隣住民で、
午後はレストラン、カフェ等が観光客で賑わう。
◆ 聖ルカ教会と受胎告知教会
聖ルカ教会;古いクロアチアの教会でオリジナルは9~11世紀にかけて建てられた。
受胎告知教会;1534年に創立、18世紀に再建された。(後ろの高い建物)
門の上に飾れれている聖人達の彫刻は15世紀に造られたものだが、教会は1786年に再建。
◆ カーメルの聖母教会 (Church of our Lady of Mt. Carmel)
大聖堂の東隣なりに佇む小さな教会。 1630年頃に建てられた。
これにて「アドリア海の街と教会(7)Dubrovnik-1」は、お終いです。
次回のDubrovnik-2 に続く。
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