いよいよ、エルディー(Erdély) のハンガリー教会の聖地、古都とも呼ばれている
ブラショー(Brassó)へ巡礼に旅立つ。 当然の事として、いろんな国民の思惑が込め
られて、その呼び方は様々であるが、ここはハンガリー語を主体に使っていきたい。
世界的には、トランシルヴァニア (Transilvania) のブラショフ (Brasov) の方が通り
が良いであろう。
ここはブダペストから700km離れ、この辺一帯はセイケ地方とも呼ばれ、ハンガリー人
の心の故郷なのかも知れない。 何処に行ってもハンガリー語を話せる年配の方や二世、
三世の方がおり、ハンガリーに多少なりとも関係のある者にとっては、心強さと親しみを
感じさせてくれる所である。
ナジセベン (Nagyszeben) の街を抜け、15kmほどで国道1号線と7号線の分岐点となる。
7号線に進路を取るとブカレスト (Bukarest) へ、目指すブラショー(Brassó) 方面は国道1号線
を東に向かう。
まず、立ち寄るのは、ケルツ (Kerc) にある、今は廃墟化しているが、往年はカソリックの修道院
であった。
<百八十八番札所: ケルツ (Kerc) 教会>
教会は、1202年にフランスのシトー会(*1)の修道院として、王イムレ(*2) によって建てられた。
最初はロマネスク様式で建てられたが、2期目からはゴシック様式が使われた。
1421年と1432年には、オスマントルコ軍の襲撃を受け破壊されたが、1453年に今の形に復元
された。
1470年には、王マーチャーシ(*3) によって、修道院は閉鎖となった。
1648年に内陣の前壁面が修復され、現在も残されている。 内部の祭壇部分は、今はルター派の
教会として使われている。
(*1) ; カトリック修道会のひとつで、ベネディクト会改革派の一派。 1098年フランスのシトー
(地名)で創設された。
(*2) ; 15代目の王で、イムレの在位は、1196~1204年。
(*3) ; 32代目の王で、マーチャーシ1世の在位は1458~1490年。 現在のブダ城(王宮)内
にあるマーシャーシ聖堂は、ハンガリー全盛時代を築いた彼の名に因んだ。
今も残されている教会の前壁面部と鐘塔
北東側からの教会全貌 祭壇側(東側)からの全貌
南東側からの全貌 南西側からの全貌
南側に迫り出した修道院棟の壁面 修道院の窓
残された修道院棟の壁面
祭壇部 祭壇部からの教会入口側
祭壇部北側 祭壇部南側
古い板絵が数多く残されている
ユニークな賽銭箱 当時を再現した修道院、教会の模型
これで、「ブラショフ(トランシルヴァニアの教会(1)」<百八十八番札所;ケルツ教会>は終了です。
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