今回からは、旧ハンガリー領にあって、今なお、そこに残されたハンガリー人達の間に使い続け
られている教会を訪ねる。 まずはルーマニアの北部Transylvania (トランシルヴァニア)であるが、
ハンガリー人のほとんどの人達の間で、Erdély (エルディー)と呼ばれているのは、尖閣諸島や竹島
の領土問題を抱える日本人には容易に理解できることである。 今回はハンガリーの教会巡りという
ことで、地名はハンガリー語を使用し、以下Erdély と呼びたい。
まずは、Erdély の首都(非公式)であった Kolozsvár (コロジヴァール)...ここは、ルーマニア第2
の都市なので Cluj-Napoca (クルシュ・ナポカ)と言った方がポピュラーであろう。....
コロジヴァールの人口は、309,000人(2011年)である。 街はハンガリー色を徐々に払拭し、近代的
に生まれ変りつつあるようだ。 ブダペストから351km、ブカレストから438km離れており、距離的には
ハンガリーの首都からの方が近い。 ハンガリーから行くには、国道42号線の国境の町 Biharkeresztes
(ビハルケレステシュ)から入るのが、順当なルートだろう。
まず、Erdély に入ると大きな町Nagyvárad (ナジヴァーラド)で国道1号線を選び、そのまま進むと、
コロジヴァールに着く。 道は幾たびか、山間を通るため、風光明媚な旅が楽しめる。
コロジヴァール市街 Eroilor Avenue はユニークな建物が多い
Bánffy Palace (迎賓館) 相似形のビルに挟まれたManiu 通り
Avram Lancu Square と国立劇場 ギリシャ東方正教会
The New York Palace Baritiu Street
<百六十九番札所; Szent Mihály (聖ミハイル) ローマ・カトリック教会>
教会は、14世紀にゴシック様式で建てられた。 Erdély (エルディー)の中では、Brassó (ブラショー)
の黒教会に次いで2番目に大きい教会である。 高さ80mの塔は、Erdély の中で最も高い。
13世紀には、すでに同名の小さな教会があったらしい。
この教会は日本で例えれば、明治神宮か伊勢神宮に匹敵していたため、国力で数々の改修が重ねられ
てきたが、もっとも活躍期にあったのが1420年~の100年間のジグモンド王とマーチャーシ王の時代
であった。 それはオスマン・トルコ支配時代の前である。
その間に2度も塔は建て替えられ、今日見られる塔は1859年のものである。
北南方向から 北方向から
教会西側入口 教会南壁
西側入口上部
教会南側;マーチャーシ王の像(1902年作)は工事中。 内陣祭壇
内陣入口側
南側通路にあるフレスコ画 (キリスト受難物語)
1349年のフレスコ画 (聖母マリアとキリストを取り巻く7人の婦人聖職者)
内陣内の柱飾り 内陣内通路扉
説教台
これで、「Kolozsvár (コロジヴァール)の教会」は、お終いです。
「バラトン遍路の旅」 http://invitelweb.hu/otsuka
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