時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

マスク問題、外国と日本の違い

2020年12月11日 | 日々の、あれこれ

 

 

コロナのせいで、世界各国でマスクに関する事件が起きたのを、ニュースで耳にしてきた。

最近は少しそういうニュースは減ってる気もするが、ちょっと前まではちょくちょく耳にした。

それは日本でもあった。

 

日本は比較的マスクによる事件は海外ほどの大ごとにはなっていない気はするが、それでも小競り合いみたいなトラブルは日本でもあったようだ。

だが、これが海外になると、けっこう大ごとになった事件もある。

マスクをしていないことによる暴力事件もあるし、デモもあったりしたし。

 

日本では元々コロナ前から日常的にマスクをする人はそこそこいた。

私自身、花粉症の時期などはマスクをしていたし、掃除などをする時は欠かせなかった。

花粉症の時期には、日本では私同様に日常生活でマスクをする人は普通にいる。

なので、マスクに関しては、多くの外国に比べたら、日本はマスクに対する違和感は少ない国なのだと思う。

普段の日常生活で、マスクのある生活はそれなりに普及していたのだと思う。

 

だが、外国では、マスクは病人だけが装着するものというイメージが強いケースは多いようで、普段の日常生活で病気でもなんでもない人がマスクをするということは、習慣的にない国が多い。

マスクをすること自体が嫌だという国民性の国は多いようだ。

 

 

コロナが蔓延し始めた頃、アメリカ在住の日本人がコロナ予防でいちはやくマスクを装着してると、かえって怪訝そうな顔で見られることはあったらしい。

「お前、病気なのか?」みたいに疑われることもあったという。

 

マスクの習慣がない国で、マスクというものは病人が付けるもの・・という認識がある国では、へたにマスクをすると、そういう目で見られたようだ。

 

このへん、マスクへの認識の違いなのだろうね。

 

まあ、マスクをしていると、正直息苦しくなることはあるし、コロナで夏にマスクをしてると顔が暑くてしかたなかったのも事実。

また、どこかの店で店員がマスクをした状態で客に応対すると、客としては相手の言ってることが聞き取りづらいこともよくあった。

ましてやコロナの中では、アクリル板などもあるし。

そのせいで、なおさら聞きとり辛かったりした。

まあ、それはマスクをしてる客に応対する店員にとっても同じなのだろうね。

 

なので、多くの人がマスクをしていることによる弊害はあることはあるとは思う。

 

とはいえ・・・しないことによる不安感もあるのがコロナ禍の状況だ。

 

コロナに感染したくない、あるいは誰かに感染させたくない・・・という気持ちは世界中の人がそうだと思う。

 

それはわかっているはずなのに、マスクをしないことで暴力事件を招いてしまったり、マスク着用に反対するデモが起きたりするのが、日本人の私としては、ちょっと不思議な気はした。

そこまでするか?という感じ。

そういう国にとっては、国民に「マスクをする習慣がなかった」から・・というのは大きいのだろうが、そのことによってあちこちで色々なトラブルが起きてる状況を考えると、下手したら「こらえ性がなさすぎるんじゃないかい?」とも思ってしまったりしたこともあった。

そこまで大問題にするほどのことだろうか・・・と。

「自由」というものを、拡大解釈しすぎに思えることもあった。

というか、「自由」を口実にしたわがままに思えたこともあった。

 

それとも・・・そういうのは、「国民性の違い」という概念で正当化できるものなのだろうか。

 

コロナ禍は、普通の状況じゃないのだし、緊急事態でもあるわけだし、マスクは仕方ないんじゃないかなあ。

 

もっとも、長すぎる緊急事態ではあるけどね。

 

ちなみに、2020年12月現在の日本では、電車に乗ると、ほとんどの人がマスクをしている。

というか、マスクをしないまま電車に乗ってる人を見つけることのほうが難しいぐらいだ。

 

やはり、日本人はマスクに対するアレルギーみたいなものは、外国人に比べては少ないのだろう。

そう思える。

 

で、私は・・・?というと。

2020年の1月末か2月頭頃に見に行った友人のライブの時は、すでに私はマスクをしていた。

当時はまだ今ほどコロナの感染者が少なかった頃だった。

でも、その頃からマスクはしていた。

それは前述の通り、花粉症の時期などには日常的にマスクをしていたこともあったし、あまりマスクに違和感は持っていなかったからだ。

最近は基本的に外出する時はいつもマスクはすることにしてるが、たまに・・コンビニなどに買い出しをするためだけに外出する時はマスクをつい忘れて外出してしまうことは・・ある。

家を出てすぐに気づいた場合はマスクを取りに家に戻るが、だいぶ道を進んでしまって、すでにコンビニに近づいてしまってる時に思いだした時は・・・そのままマスクなしで買い物をすることは・・・ある。

そう、ちょっと近所に買い物をするためだけに外出する時って、ついマスクを忘れてしまうことが・・あるんだよなあ。

 

皆さん、その辺どうしているのだろう。

ちょっとコンビニやスーパーに買い物をするためだけの外出の時、ついマスクを忘れてしまうことって・・・ないだろうか。

そんな時、すでに店に近付いていても、家にマスクを取りに戻っているのだろうか。

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (lemonwater2017)
2020-12-12 01:29:58
象が転んだです。
言われる通り、欧米人のマスク拒否の理由が私にも理解できません。いくら自由の尊重やイメージが悪いとは言え、人類の危機には変わりはないんですから。
シートベルトは格好悪いとか、ブレーキを踏むのはダサいとかいう屁理屈と同じもんでしょうか。

そういう私もマスクをする習慣はなかったです。職場でマスクを付けた時も違和感はありました。でもコロナ渦になってからは、マスクをする事で不安が軽減し、手洗いやうがいをするようになり、この時期は風邪気味になるんですが、その兆候もありません。

ある意味、コロナは色んな事を愚かな人類に教えてくれたと思います。
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Unknown (だんぞう)
2020-12-12 11:05:14
普段マスクをしない人が、病気でもないのにマスクをして日常を過ごさなければいけないことの煩わしさは、ある程度わからないことはないんですが、だからといってマスク拒否したり、デモまで起こすほどのことか?と、私は思ってしまうんです。

単なるわがままにしか見えないことがあります。

今日本では、マスクをしてるのが当たり前になってますし、要するに「慣れ」だと思うんですよ。
こんなコロナ禍の中、状況に即した「慣れ」をしていかないと、ますますコロナを暴れさせるだけですよ。

資本主義陣営は自由を大事にしますが、周りの多数の人達に命や健康のリスクを与えてまで主張てきる自由なんてあるんでしょうか…。
自由というものをはきちがえていないか?…と、そんな気にもさせられます。
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