自宅のPCが退院してきた記念に、今回はこれまで暖めていたネタを発表したい。
それは、超有名な剣豪の墓にまつわる不思議な話である。
だが、墓の話題とはいっても、決して怖い話ではないので、怖い話が苦手な人も安心して読んで下さい。
日本の歴史上には、著名な剣豪が数多く存在した。
以下に名を挙げる人物など、名実共に誰もが納得する「著名な剣豪」であろう。
私が思い付く名をザッと10人くらい挙げてみよう。
●愛州移香斎(「あいすいこうさい」。剣には数多くの流派があるが、あまたの流派から「剣祖」と讃えられる伝説的な剣豪。上泉信綱の師。)
●上泉信綱(「剣聖」とも讃えられる、天下の剣豪。彼が柳生に教えた新陰流が柳生新陰流に繋がった。柳生新陰流の師。彼の門下からはキラ星の如き剣豪が数多く巣立っている。)
●宮本武蔵(もはや、説明不要。日本人で彼の名を聞いたことがない人がいるだろうか?)
●佐々木小次郎(武蔵の名を知ってる人で、小次郎の名を知らぬ人がいるだろうか?)
●柳生十兵衛(武蔵に負けない知名度を誇る。彼を主役にした小説や映像作品、多し。)
●塚原卜伝(つかはらぼくでん。左卜全とは別人です←当たり前か。「上泉信綱と並ぶ剣豪」との呼び声高し。)
●伊東一刀斎(いっとうさい。一刀流の開祖。なんてカッコイイ名前なんだろう!いかにも強そうだ。名前を聞いただけで、ビビッてしまいそうだ!)
●神子上典膳(みこがみてんぜん。う~む、これまた素晴らしい響きの名前だ。強さと共に、美しさや風流さ、そして気品すら感じさせる良い名前。別名、小野忠明。伊東一刀斎の弟子。将軍の剣術指南役にもなり、その名は全国に知られた。)
●丸目蔵人佐(まるめくらんどのすけ。上泉信綱に師事。タイ捨流の開祖。風流人でもあった。)
●荒木又右衛門(あらきまたえもん。「鍵屋の辻」の仇討ちで36人斬ったという伝説があるが、実際には数人斬っただけとも。だいいち、刀ってのは人を1人斬ると脂が刀に付いて切れ味が落ちるため、実際には一度にそうそう何人も斬れるものではない。)
この他、有名どころでは、柳生石舟斎、柳生但馬守、真壁暗夜軒、斎藤伝鬼坊、富田勢源、林崎甚助(「カムイ伝」に同性同名の剣豪が出てきて活躍するが、この人のことだろうか?)などの名前を挙げる人もいるだろう。もちろん他にも剣豪はたくさんいる。
幕末時代も入れれば、千葉周作や沖田総司の名を挙げたい人もいるだろう。
とりあえず今挙げた人物は、世に言い伝えられている、いずれ劣らぬ知名度を誇る実在の剣豪である。
(蛇足だが、剣豪と呼ばれた人の名前って、本当にカッコイイ・・というか、響きの良い名前が多いと思いませんか?貫禄があったり、品があったり、いかにも強そうだったり、風流だったり。名前の響きが、人に与える印象って、実に大きいと思います。その意味じゃ、ネーミングって大事ですよね。その人の人気にも影響を及ぼしかねません。)
で、なんで、こんなに剣豪の名を挙げたかというと・・・・。
ある日、私は父の墓参りに行った。
寺に行くと、ちょうど寺の関係者が庭に居て、私に「お墓参りですか。ご苦労さまです」
と声をかけてくれた。
二言三言言葉をかわすうちに、私はその寺について知りたいと思ってたことを聞いてみたくなり、実際に聞いてみた。
私「ここの墓地には、著名な人が何人も眠ってらっしゃるという話を聞いたことがあるのですが、本当ですか?」
するとその人は、その墓地に眠っている人の名前を何人も挙げたのだが、その中に、意外な人物の名があがった。
超有名な剣豪の名だった。
それは、先ほど私が書いた10人の剣豪の中の1人だ。
と言うと、その墓地に眠っている剣豪が誰であっても、超有名な人物であることは分かってもらえると思う。
ただ、あえてここでは名前は伏せておくことにする。
私が「え?それって、すごく有名な剣豪じゃないですか!凄い!まさか、自分の父の墓のすぐそばに、そんな凄い人が眠ってらっしゃったとは!よかったら、その剣豪のお墓に案内してもらえませんか?」
と言ったところ、その人は快く案内してくれた。
墓に着いた。私の父の墓から十数メートルしか離れてなかった。
その剣豪の墓は、思ったほどには大きくはなかったが、それなりに存在感のある墓石だった。
いかにも古そうな墓だった。
花も無ければ水も無かった。忘れ去られているかのようだった。
私が感慨深げにその剣豪の墓を見てると、寺の人はポツッと言った。
「この墓は、不思議なんですよ」
すかさず私は「え?どういうことです?」
「雨や曇りなどの湿気の多い日に、この墓石には剣を持った人物の姿が白く浮かび上がるのです」
その日は、あまり湿気の多い日ではなかったが、少し曇ってはいた。
寺の関係者は「今日の気候ではあまりはっきりとは浮かび上がっておりませんが、ホラ、この位置に・・・」と言って指を指して説明してくれた。
「ここが頭で、ここが体で、これが剣ですね」。
その時の私の感想は「確かに、剣を持った人の姿のような跡が浮かびあがってるけど、見ようによってはそう見える・・ってだけじゃないのかなあ」だった。
もちろん、そう思っただけで口には出さなかったが。
でまた、別の日に墓参りに行った。
小雨の日だった。
父の墓に手を合わせた後、私は剣豪の墓のことを思い出した。
その日は湿気が十分だったので、試しに、剣豪の墓に行ってみた。
すると!!!
こ、これは・・・・。
驚いた。はっきり浮かびあがっているではないか!
墓石に、剣を中段からやや下段に構えた人間の姿をした白い染み(?)みたいなものが、くっきりと。
誰が見ても分かる。こじつけではない。
剣を持った宮本武蔵の全身を描いた肖像画が広く世に知られているが、その画によく似たポーズだった(ちなみに、この墓は武蔵の墓ではない)。
あの超有名な剣豪の墓石に、剣を構えた人間の形をした白い染みが浮かびあがるなんて、偶然にしてはできすぎている。
それは、その剣豪の剣にかける思いが形となって浮かびあがっているのだろうか。
あるいは、剣に生きた「稀代の剣豪」としてのプライドなのか。
怖いという感じではなかった。
ただただ不思議だった。
個人的には、ちょっとしたロマンも感じた。
今、私は父の墓参りに行くと、この剣豪の墓の前にも行く事が多い。
湿気の多い日などに行くと、必ずと言っていいくらい「白い剣豪の姿」が墓石に浮かびあがっている。今も。
私の父は、亡くなってから、この剣豪と「ご近所さん」になったことになる。
だから、私はこの剣豪に親しみを感じている。
最近、私は、その古い墓に向かって手を合わすようになった。
その度に「安らかにお眠り下さい」と思いながら。
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