大震災のあと、原発事故があり、電力不足への対応から、全国に節電が呼び掛けられた。
その結果、駅も、店も、仕事場も、家も、色んなところで節電への努力が行われた。
節電してるということが一番分かりやすかったのは、無駄な電気をつけない場所が増えたこと。
この状況ゆえ、電気が消されて、昼でも暗い場所が増えた。
でも、今思うに、慣れてしまえば、これはこれでいいのではないか。
むしろ、以前が贅沢すぎて、明るすぎたのではないかと思うようになった。
仮に、原発事故が起きる前の電力量が、この後確保されるようなことがあっても、もう、今のままでいいのではないだろうか。
せっかく、存在誇示・アピールのための贅沢電気についての意識に変化をつけることができたのだから、それを無駄にしないようにしないと。
そう、あの忌まわしい大震災から学んだのだから。
最近では、節電で電気が消えてた場所で、再び電気が明るくともされている場所に行くと、まぶしいとさえ思うようになった。
せっかく「慣れた」状況を、また以前の贅沢な状況に戻してたら、この先再び似たような状況になった時に、またとまどうことになる。
夜や、日差しの当たらない場所は、本来暗いもの。
必要な光だけでいい。
暗い場所があるからこそ、その対比で、明るい場所の良さも実感できるのだ。
暗さを利用した犯罪が起きるような場所では明るさも必要だが、アピールや見栄えの良さや「見栄」のための贅沢電気に疑問を感じる風潮を維持していけたらいいと思う。
明るさは「まぶしさ」だけではなく、「うるささ」に繋がったりもするのだし。
音の「うるささ」という意味ではなく、明るさがうるさい・・・そう感じられることだってあるのだから。
子供の頃、食べ物を残した時、「食べ物を粗末にしてはいけません」と注意されたことがある。
それは、電気にも言えることだね。
電気を粗末にしている大人を叱る存在があってもいいかもしれない。
大震災という出来事の後では、色々なものが変わった。
変わらざるをえなかった。
もう、震災前の価値観に戻っては、立ち直れない。