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夏になるとよく食べてきた、ひやむぎ。
暑くてあまりお腹が減ってなくても、不思議とひやむぎとかそうめんだと、つるつる食べられる。
ひやむぎを食べてて、いつも少し気になっていたことがある。
それは
ひやむぎには、たまに色つきの麺があることだった。
そして、さらに疑問。
あの色つきの麺って、なんなのだろう。
なにか意味があるのだろうか。
・・・・ということだった。
色はピンクだったり緑だったりした。
大半の麺は白いのに、まれにそういう色つき麺が混ざっているため、けっこう目立つ。
色は違っても、味が違うわけではないし、感触が違うわけでもない。あくまでも、白い麺と同じ。
違うのは色がついているということだけ。
でも、子供の頃、親にひやむぎを作ってもらって、麺が大きめのザルに乗せられてテーブルに運ばれ、いざ食べようとする時に色つきの麺を見つけると、私は意味もなく色つき麺を優先的に選んで食べてしまったりした。
なんというか、色つきの麺は「当たり」の麺のように思えたからだ。
色がついているというだけで、なぜか得したような気がしたのだった。
「当たり」の麺が、他の麺より目立って分かりやすくなっていたので、「当たり」を見分けるのは簡単だった。
だが、それは決して「くじ」でもなんでもなかった。だから「当たり」も「ハズレ」もなかった。
ならば、なぜ、稀にああいう色つきの麺が混ざっていたのだろう。
そう思って調べてみたところ・・
どうやら、あの色つきの麺は・・・
メーカーとしては、単なる「いろどり」の意味合いでしかなかったようだ。
いわば、ちょっとした演出みたいな。
なんだ、そうだったのか。
・・というか、むしろ「やはり、そうだったのか」・・・と言い換えたほうが自分の心情に当てはまるかもしれない。
だとしたら、特に特別な意味はないし、味も違うわけでもないのも納得。
なにも無理して、色つきの麺を優先的に選んで食べても意味は無いのだ。
でも・・
確かに、白い麺の中に数本ああいう色つきの麺が混ざっていると、視覚的には映えるし、見た目的にも楽しいことは確か。
それ以上でもなければ、それ以下でもないのだ。
なんか、あの色つきの麺に特別な意味合いを感じて、我先に色つきの麺を選んでいた少年時代の自分が、しょ~もなく思えた(笑)。
でも
大人になった今でも
出てきたひやむぎの中に、色つきの麺が混ざっていると、ちょっと嬉しいし、楽しくも思う。
それだけで十分、あの麺は存在目的を果たしているのだ。
ひやむぎの演出家、それは、色つきの麺。
色つきのひやむぎ麺を見つけると、ついその麺を選んで食べたくなったりした方・・・いませんか?