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私のかつてのHP「時代屋小歌」の音楽面での記事を復刻するブログ「時代屋小歌(音楽編)」の方で、新たに1曲、私の自作曲の歌詞を復刻しました。
その曲は「空の少年」という曲です。
http://blog.livedoor.jp/syunka16-mymusic/archives/4923127.html
私にとっては、自分のユニット「時代屋」のライブで結成初期の頃から歌い続けている曲です。
時代屋はめったにライブをやれないでいるため、ライブではつい新しいレパートリーの方を優先しがちな私。
なので、初期の頃の曲では、今ではほとんど取りあげなくなってしまった曲も多々あります。曲が入れかわっていっている・・・そんな感じです。
その中で、この「空の少年」は、今もたま~に披露している数少ない曲の一つです。
割と自分では気に入っている自作曲のひとつ・・・ということになるのでしょう。
この曲は、現時点では私の唯一の自主制作CDアルバム「空を見ていた。」にも収録した曲のひとつでもあります。
「空を見ていた。」というアルバムタイトルは、収録曲の中の1曲「空の少年」をもじったものでありました。
時代屋ではアコギ2本で演奏していますが、いつかはウッドベースや、ブラシによるドラム、ピアノ、ストリングスなども入れて、やってみたい曲であります。
今では、アルバムに収録したバージョンとは微妙に変化したバージョンで歌っています。
とはいえ、大きな違いはありませんが。
今は空き地というものがあまりありません。
あっても、かなりしっかりガードされており、子供たちが入ってゆけるような雰囲気はありません。
私
の場合は、家の裏が空き地になってましたから、地続きで気楽に入ってゆけました。だから一人遊びも多かったです。
今の都心の子供たちは屋外で遊び場があまりないから、インドアのゲーム遊びが多いのかもですね。
まあ、ゲームが充実してるせいもあるのでしょうけど。
広いし、遊ぶ道具もあるし、喉が渇けばいつでも水道が使えたし…
でも、やっぱり学校なんですよね。
だから遊ぶのは、もっぱら近所の空き地「原っぱ」でした。
一応私有地で鉄条網や柵で囲われてはいるのですが、基本的に出入り自由で、
中で遊んでても誰も叱らない。
いわば私たち子供の解放区みたいな場所が「原っぱ」でした。
藤子ワールドのように土管こそありませんでしたが、
片隅には地主が処分に困って置きっぱなしにしていたらしい
スクラップ状態の乗用車が1台ありました。
それが私たちにとってのスーパーカーであり、潜水艦であり、宇宙船でした。
ちゃんばら、ビー玉、ぱっちん(メンコ)、釘さし、独楽戦…
なぜかボールを使った遊びはやってなかったんですよね。
やはり球技は広さが必要になるので校庭でやってたんでしょうね。
「原っぱ」には女の子たちもいました。ゴム跳びしてる子が多かったですが、
小さい子たちはすみっこでおままごとやってましたね。
なんだか書いてるうちに妙に切なくなってしまいました。
切ないといえば「原っぱ少年団」の歌詞の結びは、こんな感じでした。
「夕陽の中にとけてゆく友達の背中 いつまでも見ていた」
あ、また長くなりました毎度すいません。
原っぱ少年団、すごく良いタイトルですね。
魅力あります。
映画のタイトルにしたくなる、素敵なタイトルだと思います。
歌詞と歌詩の違い、、、うーん難しいですね。
あくまで私の感じ方では、歌詞はメロディーが乗ることが前提で書かれたもの、あるいはメロディーにはめ込むために書かれたもの、、というイメージがあります。
やっぱり歌詞ってこういうことなんだなと、改めて感服しました。
私の「原っぱ少年団」は、貧乏とまでは言いませんが、決して豊かではなかった小学校4年生くらいの自分を思い出して書きました。
育った場所も都会ではなく、地方の小さな町…でも、なんだかやけに楽しかったな〜
その一点だけに焦点を絞ってたような気がします。
だから表現もど直球で、なんのひねりもないものでした。
よくあの「歌詞」に曲をつけてくれたものだと、今更ながら感心する私です。
個人的な見解(笑)ですが、「歌詞」と「歌詩」の差、といったとこでしょうか。