私の恋愛趣味に美少年趣味というものはないのだが、そんな私でも「これは・・美少年だなあ」とつくづく実感した「かつての美少年」がいた。
あ、かといって恋をしていたとか、そういうことではないので、念のため。
だいいち、その美少年は外国の映画スターであった。日本の片隅にいた私のようなガキとは別次元の世界にいた人。
私がまだ分別もわきまえない少年だったころ、家には「平凡」や「明星」という名の月刊誌があった。
それは芸能界雑誌で、雑誌には当時の人気スターや人気芸能人の写真や記事が満載。
主に日本の芸能人が記事になっていたが、外国人スターも場合によっては大きく紹介されていた。
それらの雑誌を見てたら、ある日突然・・まるでハリウッド女優も真っ青になるぐらいの美少年が紹介された。
その名は、ビョルン・アンドレセン。
映画「ベニスに死す」という作品で、準主役的な役で、ビョルンは出演していた。
主役はダーク・ボガートなのだが、準主役的な美少年「タジオ」の役をビョルンが演じていた。ちなみに監督は、ビスコンティ。
ともかく、この映画は大々的に芸能雑誌で紹介され、しかも、紹介されるのはビョルンのことばかり。
平凡や明星に紹介されたビョルンの写真を見て、私はびっくりした。
世の中には、これほどの美少年がいるのか・・・と思い、ある意味唖然としたほど。
なんでこれが男なんだ?本当に男か?と思ったぐらい。
ともかく、当時の記事では、映画の内容そっちのけで、ビョルンのビジュアルばかりが大々的に紹介され、騒がれてもいたように思う。
ならば、映画はどういう内容なんだ?と興味がわいたが、貧乏な子供だった私には、映画を見に行くようなお金はなかった。
そう、映画そのものへの興味は、けっこうあった。
だが、やがて「ベニスに死す」という映画の公開が終わり、年月が過ぎていくと、その映画の話題は減っていった。
ちなみに、ピークの時にビョルンが来日した時は、女性ファンがすさまじかったらしい。
その過熱人気もあって、ビョルンの祖母は、ビョルンが日本で芸能キャリアをつむことを希望したらしい。
実際、当時日本ではビョルンをCMに起用したり、CMソングをレコーディングしたりなどの芸能活動をしていたらしい。
「ベニスに死す」で大ブレイクしたので、普通ならビョルンはその後も映画などで引っ張りだこになりそうなものだ。
だが、その後、ビョルンの話題は入ってこなくなった。
一応、映画のオファーは彼のもとにいくつも行ったそうだし、そのための準備もしていたらしいが、なぜか映画は実現しなかったらしい。なぜなんだろう。
また、ビョルン自身はもともとはミュージシャン志望で、学校に復帰後は音楽活動をしていたようだ。
ただ、その後ミュージシャンとしてのビョルンの活躍の情報は、日本には入ってこなかった気がする。少なくても私は耳にしていない。
彼の生まれはスウェーデンなので、首都ストックホルムで地道な音楽活動をしていた・・・そういうことなのかもしれない。
ビートルズなどのロックが好きだったようだが、さすがに音楽面では「ベニスに死す」ほどには有名にならなかった・・ということであろう。
ちなみに、ウィキによると、彼は5歳の時に父に捨てられ、それが原因で母は自殺したらしく、祖母に育てられたようだ。
考えてみれば、複雑で、悲しい境遇で育ったことになる。
で、「ベニスに死す」。長年私の心の片隅にかすかに残り続けていた映画ではあったので、先日レンタル屋で見つけ、借りて観てみた。
どれどれ、かつてその美少年ぶりが世界的に大きな話題になったビョルンの姿、観てみよう・・と私は思って。
静養のためにベニスを訪れた初老の作曲家は、そこで絶世の美少年タジオに出会う。
その作曲家はちゃんと妻も子供もいたので、決して同性愛者だったというわけではないのかもしれないが、タジオの美しさには惹かれずにいられなかった。
そこに「理想の美」を見出したのであろう。
以後、その作曲家はタジオの姿を求めて、ベニスの町をさまよう。
視線がつい、タジオを追いかけてしまっているのだ。
タジオも、その作曲家の視線に気づくようになり、やがてはチラチラと作曲家を見るようになる。
ただ、結局はその作曲家とタジオは会話を交わすことはなかった。
作曲家がタジオを視線で追い、タジオはその視線に気づき時々作曲家のほうをチラチラ見るだけで。
作曲家はタジオを愛してしまった。だが、タジオがその作曲家をどう思っていたかはわからない。意識はしていたようだが。
奔放に、時には無邪気にふるまい、ベニスの旅を楽しむタジオの姿や仕草は、視聴者としては小悪魔的にも見えた。
ネタばれになるので、ストーリーに関してはこれぐらいにしておく。
見終わってとりあえず個人的に言えるのは、ともかくビョルンの存在感が半端ない。
終わってみれば、ひたすらビョルンの絶世の美少年ぶりが目に焼き付いている。
ビョルンの美少年ぶりの前では、映画内の他の要素がかすんでしまうほど
それだけ監督はビョルンを美しく撮ったということだろう。
当時の私には、ビョルンは美少年の代名詞的存在に思えた。
映画を見終わった後、ビョルンのその後や現在が気になった私は、ちょっと調べてみた。
1955年生まれのビョルンは、今では還暦を超えている。
近年の写真もネット上では見つけることもできた。
今も健在であることは嬉しいことだが、近年のビョルンの様子は「ベニスに死す」の頃とはだいぶ印象が違う。
最近の写真でのビョルンは、渋かったり、しわだらけだったり、目つきが鋭かったり、見ようによっては怖かったり(?)もする。
見た目がしっかりオジサンであるのは間違いないが、年齢を考えると当たり前だね。
少なくても美形で売ってる印象はない。
とりあえず言えるのは、「ベニスに死す」でのビョルンとは別人のような感じではある。
というか、同一人物とは思えないぐらい。
「ベニスに死す」でのヤング・ビョルンの奇跡のような美しさは、ビスコンティ監督の演出のうまさでもあったろう。
タジオ役には、多数の人をオーディションしたらしいが、ヤング・ビョルンの素材を見抜き、それをビスコンティ監督が作品の中で映像的に磨きをかけまくったということだろう。
そして、「ベニスに死す」は、その証明でもあるのだ。
その映画の中でのヤング・ビョルンは、今見てもそんじょそこらの女優でもかなわないぐらい、美しい。
究極の美少年とでもいいたくなる。
今もし、「ベニスに死す」のヤング・ビョルンが日本にいたら、ジャニーズ事務所あたりは、ビョルンをメインにして世界に売り出したかもしれない。
日本ではビョルンは「ベニスに死す」のイメージしかない気がするが、その1本があったおかげで、いつまでも記憶に残っている人も多いはずだ。
ちなみに・・私、ビョルンのミュージシャンとしての姿は見たことがない。
ミュージシャンとして演奏しながら歌う姿、見てみたい気はする。
今の姿で。
アラブ地方の諺には、「美少女には1人の悪魔がついている。しかし美少年には7人の悪魔がついている」と云います。
即ち、美少年こそ、大多数の人々を、根底から惑わすから気をつけよ!ということです(笑)
ビョルン・アンデルセンに、大変ふさわしい賛辞ですね。
男性同性愛者でなくても、彼に魅惑され、狂わされ、恋に落ちることも、やむを得ないですよね。
人間は、何かきっかけがあれば、恋愛対象でさえ、揺さぶられることもあるでしょうから。
さて、ビョルン・アンデルセンが、いわゆる「一発屋」であったことは、本当にもったいないですね。
『ベニスに死す』にて、特異な役柄であり、また女性ファンが圧倒的大多数であったために、他の映画でイメージ・チェンジすることも許されなかったのでしょうか?
超美形の男の子が、次の映画では、ハードボイルドな容貌となり、「マフィアの伜」のような荒くれ者を演技するのは、世界が許さなかった…(笑)?
それ故、彼の映画人生は、『ベニスに死す』にて、徹頭徹尾、完全燃焼したと言えますね。
一方、ミュージシャンとしての彼は、どういうわけか、ジュリアン・レノンを彷彿とさせます。
知りませんでした。
美少女よりも、美少年のほうが、ある意味やっかいかもしれませんね。
この映画の主人公の初老の男性は、美少年タジオに、究極の美を見いだしたようでした。
確かにきれいでした。
でも女性ではない。だからこそ、余計に心が乱れたのかもしれません。
ビョルンが一発屋みたいになってしまったのは、この映画でのイメージが強すぎたのかもしれませんね。
ある特定の役のイメージが強いと、その役者にとっては諸刃の剣ですね。
そのおかげで苦労した役者は、けっこういろようです。
でも、その役のおかげで、いつまでも人に覚えてもらえるわけで。
一発すらない役者だっているわけですし。
それは芸人や歌手にもあてはまるでしょうね。
ミュージシャンとしてのビョルンは、私は見たことがありません、、、。
還暦過ぎた彼を検索しようか悩んでしまいました😅
でも、相手は女性ではない。
主人公の初老の男性は、もともと同性愛者じゃなかったようだから、タジオの美しさに苦しんだとも言えそうです。
確かに罪作りですね。
ビョルンの近影は、ほとんど別人です。
渋いと言えば渋いけど、複雑と言えば複雑です。
人間、年をとると、やはり変わるなあと実感。
少女漫画では結構見かけます、定番と言っていいくらい。細身でクールで謎めいて、はかなげで少し小悪魔的で。
少女漫画を読む女子には、きっと好みのタイプのひとつなんでしょう。或いは漫画家自身の好みなのか。
(他にも、羽生結弦君みたいなタイプも少女漫画では結構見かけます)
でも現実にはいないでしょうね。現実にいないから少女漫画に登場するのかも知れませんが。無い物ねだりという事ですかね。
もしも日本人の男子で似たタイプが現実にいたら、男女問わず分別のある大人でも心がざわつくような、気になる存在かも知れません。
けれども、夢を壊すような言い方になりますが、見た目はそう見えても、あくまでそれは外見だけで、実際はごく普通の男子と何ら変わらないような気もしますけれど。
芸能人で例えると沢田研二や佐藤健が十代だったら、なんか割と近いような気がするんですけど。う~んやっぱ違うかな。
監督のルキノ・ヴィスコンティは貴族の出身で、幼少期は14世紀に建てられたお城の中で過ごしていたそうです。
正真正銘、究極のお坊っちゃまですね。
若い頃は舞台俳優と舞台美術の仕事に就き、縁あって
ココ・シャネルと知り合いになり、その口利きで映画監督のジャン・ルノワールの助手になったのが映画界に入る
きっかけだったようです。
因みに彼の映画は13本ぐらい観ました。
初期はネオレアリズモと呼ばれる現実主義的な作風でしたが、段々と耽美的退廃的作風に変化して行きました。
私の印象は、終末感の色合いが濃い感じで、滅びの美学を終生追求したような印象を受けました。人が堕ちて行く様を色々な形で描いた映画が多いような気がします。
「ベニスに死す」では、マーラーの音楽も印象に残りました。「交響曲第5番第4楽章アダージェット」いい曲ですね。この映画でこの曲を知りました。今でも好きなクラシック曲のひとつです。
また何か映画をテーマに取り上げて頂けたら幸いです。
邦画洋画問わず昔の映画が好きなので、出来れば1930年代から1970年代頃の映画を取り上げて頂けたら、
なお有り難いです。厚かましくてすいません。
最近の映画は余り観ていないので感想が書けません。
長文失礼しました。
というか、少女マンガには、あのビョルンを想定して描いたキャラクターもいたんじゃないか、、、なんて思ったりもします。
あの少年が今、普段の日常に存在したら、女だけでなく男もざわつくでしょうね。
いや、その前にまず、芸能事務所がほうっておかないような。
ヴィスコンティ監督のそのバックボーンは知りませんでした。
ヴィスコンティ監督はビョルンを磨き上げた感じですね。
古い映画のDVDは何枚か持ってますが、あまり見返してないんです。
ドラマは見返すことがあります。
映画かドラマか、何か見返したらまた取り上げるかもしれません。