霊。
そういう存在が本当に存在するのかどうかは、昔も今も意見が分かれている。
信じる人もいれば、信じない人もいる。
信じる人の中には、持ち前の霊感で、霊が見えるという人もいる。
この日記では仮に、霊というものが存在するとして・・・という前提で書いてみたい。
「人間の霊」ということで。
人はなぜ霊を怖がるのだろう。
いや、怖がらない人もいるのかもしれない。でも、怖がる人のほうが多いのは確か。
霊だって、生前は生身の人間だったはず。
同じ人であっても、生きてる時は怖くなくても、霊になると怖く感じるのはなぜだろう。
いや、生きてる人間こそ怖いという場合もある。だが、それは霊に感じる怖さとはまた別の種類の怖さだと思う。
心霊談の中には必ずしも怖い話ばかりではなく、中には心温まる話もあるし、中には切なくて泣けてきそうな話もある。
たとえば親友の霊だったり、家族の霊だったり、中にはペットの霊の時などに。
そういうケースもあるにはあるが、全体的には、霊になった途端に相手を怖く感じるケースのほうが多いと思う。
例えその霊が生きてた生身の人間の時は怖くなかったとしても・・だ。
人は、相手の正体がわからない時に怖さを感じることがある。だが、霊の場合、もしそれが見えた場合、正体がわかる場合もある。
正体がわかって怖さがなくなる場合もあるかもしれないが、逆に怖さがアップする場合もある。
ある意味、その霊をどう感じるかは、その霊が生身だった頃と自身との人間関係によって変わると思う。
その霊が生身だった頃に自分がどう接していたか次第であることを考えると、霊をどう感じるかは自身を写す鏡みたいなものだろう。
仮にその霊が、生前に出会ったことがない人の霊である場合は、その人が普段世間一般の人にどう接しているかどうかが反映されてくるのだろう。
霊の場合、生身の人間が持ちえない能力を持っている・・・そう考える人は多いと思う。
しかも、その能力がどんなことができるのかが分からない。
もしかしたら、それが怖さのポイントなのではないか。
ただ、生身の人間だって霊が持ちえない能力を持っていると思う。
そういう意味じゃ、霊も生身も、互いに持ちえない能力を持っていることになる。
生身の場合、霊が持てない社会的権利も持っていたりもする。
たとえば霊には保険はないし、免許もとれないし、医者にもかかれない。お金を稼ぐ手立てもない。住民票もなければ選挙権もない。だいいち、生身の人間に気づいてもらえなかったり、見えなかったりもする。
もっとも、法律も、相手が霊だと適用できないだろう。生身の人間と同じように霊にも同じ法律が適用されるという話は聞いたことがない。
一方、生身が持ってなくて、霊が持ってる能力は?というと、生身の人間にとっては、これがどうもつかめない。
これは霊になってみないとわからないのだろう。
霊は・・壁などは通り抜けられそうな気がするが、実際にはどうなのだろう。
霊は少し宙に浮かんでいる気がするが、実際にはどうなのだろう。
もし浮いてるのだとしたら、飛べるのか?飛べるのだとしたら、どれぐらいの高さを飛べるのか。
霊は排泄作用はないような気がする。手でものをつかんで持ち上げることは無理そうだが、念力みたいなもので持ちあげることはできる霊はいそうだ。。
飲料水や食べ物もなくても大丈夫そうだが・・。
あと、憑依などの能力は、生身にはできないだろう。
また、霊は瞬間移動みたいなこともできそうだ。地縛霊ならともかく。
それと、呪いなどの能力で、生身の人間の体調をむしばむこともできるのでは?
他・・・。
生身の人間が霊と・・たとえ「恨み」などのない関係だったとしても、生身が霊とつきあうことで、生身の人間は生体エネルギーを奪われることもある・・・という説もある。
あくまでも上記の「霊の能力」は、生身の人間が想像力やイメージで連想したものだ。
実際にはどうなのかわからない。
霊の能力を、イメージだけで書いてきたが、読みかえしてみるとこれは・・よく漫画などに出てくる「超能力者」に近い気がする。
ということは・・???
生身の人間が霊の能力を身につけてると、超能力者と呼ばれるのだろうか。
生身の人間は死んで霊になると超能力を身につけるということだろうか。
そういえば、昔・・超能力を実際に身に付けた少女が、色んな問題を引き起こす映画があったが、その映画の中ではその超能力者の少女は周りから恐怖の対象として描かれていたように思う。 あれなどは、人が霊に対して抱く恐怖の感情と少し似ていた気はする。
と、ここでふと思い出したのだが、小学校時代に私は遊びで絵物語みたいなものをノートに書いたことがあった。
当時の私は漫画家志望だったので、通常は漫画を描いていたのだが、ある時気分転換に「挿絵入りのオリジナル小説」を書いてみたわけだ。実際には絵の要素も大きかったので、「絵物語」という感じであった。
その内容は、超能力者の少年が、霊と戦う・・・そんな話だった。
もしも生身の超能力者と、霊が戦ったら、どうなるのだろう・・・そんな発想で書き始めたのだと思う。
ただ、惜しむらくはその少年は生身ではあっても、地球人ではなく宇宙人であった。
見た目は地球の少年と変わらないイケメンボーイだったが(笑)、実体は超能力を持ったエスパー宇宙人だった。
その絵物語は結局、最後まで完結させることができず、中途半端に中断してしまった。
超能力少年が宇宙人の主人公だったので、最後まで書いたらその少年が勝ったはず。
でも、物語を途中から展開させられず、放置になってしまった。
まあ、主人公が宇宙人であることから、地球人の価値観や常識や能力は逸脱してもいいわけで、そういう意味では決着はつけやすかっただろう。
宇宙人ということで、地球の超能力者が持ちえない能力を身につけさせてもいいわけだから。憑依みたいな能力だって、身につけさせてもかまわないわけだし。
だが・・もしその少年が普通の地球人の超能力者だったら??
そうなると、決着させるのは苦労したかもしれない。
なにせ、霊だって超能力者(?)。
霊が念力で物を動かしてぶつけてくるなら、少年だって念力でその物を壊したりできるわけだ。
霊がテレポートできるなら、少年もできる。
そうなると・・生身の超能力者が持っていなくて、霊だけが持ってる能力、あるいは生身の超能力者が持ってて、霊は持っていない能力・・・その差が勝負の行方に大きく関わってくるだろう。
例えば、相手の体を不調にするのは、どちらも念力できるかもしれない(相手が霊の場合、相手が苦手なものや、護符などを飛ばしたり、召還したり)。
だが呪いや憑依・・・という能力は、生身の超能力者は持ってない気がする。
一方で、霊の方は、何かのきっかけがないと、同じ場所に縛られている場合もある。自殺者などは、地縛霊になっていたりするから。
その場合は、超能力者はその霊が移動できる範囲外に陣取り(?)、遠隔からの念力で一方的に攻撃をすることもできる。
ただ、霊の場合、、肉体の実体がない。なので、例えば念力で何かを持ちあげて霊にぶつけても、実体がない霊の体はすりぬけてしまう。生身のほうは肉体の実体があるので、何かをぶつけられると肉体的なダメージを受けることになる。
ただ、この「すりぬける」という能力も、いまいち詳細がわからない。
どこかの室内に霊が入る時、窓などのどこかが開いていないと、中に入れないケースもあるのかもしれない。
そういえば、昔・・こっくりさんをやった時、霊が入ってこれるように、窓を開けてやった覚えもある。となると、どれほど「すり抜けられる」のか、わからない。文字通り「すりぬけ」られるなら、窓など開いてなくても入ってこれそうなものではないか。
また、相手を「殺す」ことで決着をつける場合、霊の場合はすでに死んでいるわけで、「殺す」ことはもうできない。この違いは大きい。成仏してもらい、消滅してもらうしかない。
一方、生身の超能力者は「殺される」ことは可能ということになる。
そうなると、すでに死んでいる霊のほうが有利だろうと思う。
霊は「死ぬことはない」という究極の能力(?)を持っているのだ。消滅か成仏でもしない限り。
そう考えると、生身の超能力者と霊が戦った場合、霊のほうが「死ぬことがない」ぶんだけ有利ということになるのでは。
もっとも、生身の超能力者が僧侶だった場合は、お経を唱えたりして相手を成仏させたり、消滅させたり・・という方法がある。
生身のほうは、相手がお経を唱えてきても、それでダメージを食らうことはないと思う。
最強は、超能力も身につけた生身の僧侶・・・ということになるのかな???だが、そんな設定、これまで見たことない(汗)。
あ、伝説では、強いて挙げれば、役小角(えんのおづの)様は、それに近かったかな・・。
ともかく、生身の地球人超能力者と、霊が戦ったら、「死なない」ぶんだけ霊の方が有利なのではないか。
ただし、その生身の地球人超能力者が「法力」をも身につけていたら別・・・ということで、どうだろう?
ともかく、霊の能力の実体が生身にはわからない。だからこそ、そこに不気味さを感じたり、怖かったりもするのではないか?
相手の「手の内」がわからないということに対して、人間は・・いや生身は、本能的に怖さを感じるのではないか。
戦などでは相手の状況を偵察させたりもするし、相手の作戦を見抜こうともするし。
それは、相手の状況がわからないということは、「怖い」に繋がるからではないか。
怖さを感じたら、本来出せるはずの自身の力もうまく出せないかもしれない。そうしたら負ける。
負けたらどういうことになるか・・・ということを考えると、そこに怖れも生まれる。
そしてそれが「怖い」に繋がる感情になっていくのではないか。
ましてや霊は、透き通ってたり、すり抜けたりする、見た目で分かる「生身では持ちえない能力」を視覚的に持ってるわけだから・・余計に「怖さ」が増幅するのでは・・。
霊が実際にはどんな能力を・・・特に、生身では持ちえない能力・・・持っているのだろうか。
そういや、霊は物に触ることはできるのだろうか。もしできないなら、楽器を実際に弾くということはできないはず・・・と思いたいが、昔の怪談で、夜中に学校の音楽室や体育館などで、ピアノを弾いてる霊もいたような気がする。
その霊は実際にピアノに指を付けて弾いてたのだろうか。あるいは念力や思念みたいなもので、楽器を「弾く」のではなく「鳴らして」たのだろうか。
また、なにかの心霊映像で、崖などから霊の手が伸びてきて、生きてる人間の足を捕まえて崖下に引きずり込む映像もあった。
そういえば、海にまつわる怖い話でも、そんな話をきいたことがある。
ということは、何かに「触る」ことはできるのかもしれない・・・という見方もできるが、いまいち確証はない・・。
そんな疑問を解決したり、確かめたりするには、死んでみるしかないのだが、あいにく私はまだ死にたくはない・・。
死んで霊になったら、私も超能力を身につけるのだろうか。
ともかく、やはり霊というのは、謎の存在ではあり続けてしまう。
だからこそ、怖いという感覚を生身の人間は持ってしまうのだろう。
もしも、霊がそばにいたとして、その霊の正体がわかり、なおかつその霊がどんなことができ、その霊が自分にどんなことをしてくるか、そばにいることで自分にどんな影響があるか・・などがわかってしまったら、怖さは半減すると思う。その結果、怖さとは別の感情がわきあがってくる場合もあると思う。
わからない・・・ということが、怖いということなのだろう。
そして、その怖さというものは、何も相手が霊でなくても・・霊以外のあらゆることに共通する要素なのだろう。
とまあ、あれこれ書いてきたが、とりあえず霊になった人に対して、生きてる人間は敬意を持ち、遊び半分でふざけた気持ちにならず、罰当たりなこともせず、刺激するような言動は禁物なのだろう。
成仏できるように。
そして・・・、生きてる人間は、亡くなった友人や身内などに対して、定期的に墓参りに行ったり、いつまでも覚えておいてあげるということが、なによりの供養なのだろう。
事故物件は、事故があったあと、一定期間誰かが住んだ実績があれば、不動産屋はその部屋が事故物件であることは告知しないでいいそうです。
なので、事故物件に事故の後に一定期間住むというバイトもあるそうです。
仕事で知り合ったカメラマンでしたが、いわゆる「視える」という方でした。
なんの説明もせずに写真を見せました。
するとカメラマン氏「ピンが甘いけど面白いね」
普通だとよくないものが関わった写真を見ると気持ちが落ち込んだり、気分が悪くなるそうなのですが、
件の写真から感じたのは好意とまではいかないものの、それに近い感覚と子供がイタズラして照れ笑いをしているイメージだったそうです。
ここで私はハッとしましました。
それは、あの部屋の住人である彼に聞いた事故物件になった理由。
とは言っても殺人事件だとか自殺があった訳ではなく、中学1年生の男の子が心臓麻痺で亡くなったんだそうです。
病死ですからね、救急車は来たそうですが特に警察沙汰にはならなかったようです。
それでも新しい住人が決まると早い人で一週間、大体一月位で引っ越していったそうです。
その理由をハッキリ言った人はいなかったそうですが、部屋を仲介する不動産屋はなんとなく察していたとの事。
だから六畳と四畳半トイレ付きで8000円という安さだったのです。
昔のこととは言え、中央線荻窪駅から徒歩10分でしたからね、この低家賃は破格です。
友人は特に霊感が強い訳でもなく、どちらかというと茫洋とした人間で、女のコには縁がなかったのですが、何故か子供や動物にはえらく好かれる男でした。
だからと言うことでもないでしょうが、あの部屋で亡くなった男の子が彼に懐いた(?)のではないでしょうか。
とはいえ、彼が卒業してあの部屋を出た後は、部屋にいた存在がついて来るなんて事はなかったようです。
ヒンヤリ、、、あ、それ、よーくわかります。
以前私の外部ブログで私の心霊体験のネタを書き、ことちらでも紹介しましたが、その体験をした時も、部屋の温度が異様に寒かったんです。
それは、九州の某旅館でした。
暖房入れても、いっこうに暖かくならず、底冷えのする状態が続きました。
宿のスタッフも不思議がっていました。
おまけに、室内灯もあまり明るくならず。
宿のスタッフが不思議がってたのは、そほ部屋はいつもはもっお暖かくなり、室内灯で明るくなるはずだったのでしょう。
なのに私が泊まったその日は、、、。
捨丸さんのその体験も不思議な話ですね。
そのアングルのシャッターをきったのは誰だったのか、、、、。
それでも学生時代にちょっとした経験をした事があります。四十数年前のちょうど今頃でした。彼の部屋に泊まるために午後4時頃に部屋を訪れたのですが、部屋のドアを開けて驚きました。ヒンヤリする位涼しかったのです。
彼も私に負けないくらいのビンボー学生で、クーラーはおろか扇風機すら持っておらず、おまけにその部屋は南西向きで西陽も思い切り当たる部屋だったのです。なのに、あの冷気・・・
彼曰く、「ここ俺が入る前に人が死んでるんだって」。
そう、彼の部屋はいわゆる事故物件だったのです。
そして彼は続けました。「変な音したり気配するけど、特になんにもしないから(笑)」
泊まったその日はずっとお酒を呑んでて泥酔して寝てしまったので特に気になるような事はありませんでした。
ただ、後日ちょっとした変事が・・・
当時写真が趣味だった私は古い一眼レフカメラをバッグに入れて持ち運んでいたのですが、
そのカメラに入っていたフィルムを現像して驚きました。
24枚撮りのうち1枚におかしな写真が。
散らかった部屋、ビールの空き缶やおつまみが散乱した卓袱台を挟み、ひっくり返っていぎたなく寝こけている私と友人の姿。
撮影位置を考えると、ちょうど蛍光灯がぶら下がっている天井辺りでシャッターを切った感じです。
当の二人は寝てるし、大体天井のあの位置で誰がシャッターを切ったのか・・・
信じるか信じないかは、あなた次第です。
十代の頃に初めて買った心霊写真集は、その後しばらくトラウマになってました。
霊というのは、どういうものなのか、あるいは、存在するのかしないのか、本当のところは、生きてる人間にはわからないものなのでしょうね。
とりあえず、死者を冒涜するような生き方はしないようにしていきたいものです。
まあ、ぼくには『霊魂の世界』のことは、よくわかりませんが、、、、、
でも、『その手の本』は、何冊か持ってます。、、、、、まあ、『こわいもの見たさ』というのでしょうか?(笑)
ぼくは、『霊の呪い』『たたり』とかいう話しには、引いてしまいますが、
『あの世とか、霊魂なんて有り得ない』と断言する人にも傲慢なものを感じます。
★★『死んだら無だから、生きているうちに、面白おかしく過ごそう』という考え方と、
☆☆『御先祖様の魂も見ておられるし、死んでも、あの世があるんだから、清く正しく生きよう』という考え方と、
どちらが、健全な思想であるかは、考えるまでもないと思いますけどね、、、、、??
私も霊感はありませんが、決して欲しいとは思ってません。
霊が、自分に対して何をするかわからないというのは、確かに恐怖です。
霊がどんな能力を持ってるかわからないから、なおさら。
ただ、中には自分を守ってくださる霊もいるようですし、むしろ幸運をもたらしてくださる霊もいるみたいですし、その場合は逆に感謝ですね。
霊がいるのかいないのか、なかなか断定は難しいと思えます。
とりあえず、侮辱するようなことだけはしたくないものです。
日食のテンプレート、もう長い間使ってますので、変えてみるかもしれません。。
これからもよろしくお願いします。
1度でも感じたり、見ることがあれば、第三者がどれほど反論しようと、信じざるを得ませんね。
さて、だんぞうさんがおっしゃる通り、「人間は、未知なる存在ゆえに霊的存在を恐怖」します。
姿そのものも、もちろん恐怖ですが、霊的存在は何をするのか、全く判らないですよね。
考えてみると、存在自体より「霊的存在は何をするか?」判らないからこそ、底知れない恐怖を覚えます。
私は、今まで全く体験無いものの、霊的存在に恐怖を覚える理由として、「死んだはずの人間が、生きている人間の前に現れるから」とばかり考えていました。
もちろん怖い話ばかりではありませんけれどね。
古今東西、「幽霊話」は尽きません。
これほど普遍性がある存在は、やはり実在するのでしょうか…?
でも・・・老眼で?!黒地に白の画面の文字が読みにくくて・・・