初めて高知の街に行った時、タクシーで移動することがあった。
タクシーに乗ると、運転手が話しかけてきた。
「お客さん、どちらからいらっしゃったのですか?」。
私は「東京からです」。
運転手「高知は初めてですか?」。
私「はい。今回初めてです。坂本龍馬目当てで来ました」。
私が会話で龍馬の名前を出した途端、鏡に映ったドライバーの目が光った・・・ような気がした(笑)。
饒舌になった。
私は龍馬のことをあれこれ聞き始めた。心なしか、ドライバーは得意げに答えてくれた。
やはり、高知人にとっては龍馬は「誇らしい、地元の英雄」なのだ。
ただ、ちょっと不思議だったのが、ドライバーのしゃべり方に、龍馬風の方言があまりなかったこと。
龍馬といえば、「~~だぜよ」「~~~じゃきに」などの土佐弁のイメージがある。
だが、ドライバーの口調にはそういう言葉は出てこなかった。
もっとも、私が東京から来たのを知って、標準語を話そうとしていたのかもしれない。
私が「高知の人は今も普段の会話で~~だぜよ・・・という言い方をしてるんですか?」と聞くと、「龍馬の土佐弁は、かなり脚色されてる部分がありますから。映画やドラマで作られたイメージもありますよ」との答が。
とまあ、そんな龍馬談義をしてるうちに、少し話が広がってきて、私は岡田以蔵の話を持ち出した。
岡田以蔵は、武市半平太の子分のような存在で、龍馬とも親交があった人物。
武市の指令で、幕末に何人もの人物を斬った人物で、「人斬り」と呼ばれ、大いに恐れられた人物。ドラマや映画、漫画や小説でもよく描かれる人物だ。
とはいえ、以蔵本人には確固たる政治的信念があったわけではなかったようで、尊敬する武市の指令だったから人斬りをしていたようだった。
剣の腕は凄腕だったので、以蔵としては、剣の才能を活かしたかったのだろう。
剣の腕を活かす・・・それが彼の志であり、アイデンティティだったのだろう。
政治的な思想はほとんどなかった・・というのは、龍馬とも親交のあった以蔵は、龍馬の口ききで勝海舟の護衛を務めたこともあり、それによって、暴漢に襲われそうになった勝海舟の命を助けたこともある・・・ということでも、うかがい知れる気がする。
なので、私は岡田以蔵には、あまり悪い印象を持っていない。むしろ、最後は、敬愛する武市に裏切られ死罪になった以蔵には、可哀そうな人・・・というイメージを持っている。
まあ、同時代に生きていたら、どう思ったかはわからないけれど。
幕末、「人斬り」と呼ばれて恐れられた人物は何人もいるが、斬った人の多さでは、以蔵は飛び抜けてたようだし。
そんな以蔵のことを、ドライバーとの会話に私が持ち出したら、それまで龍馬に関する話題で快活に話してたのとうってかわって、しばし沈黙があった。
私が「あれ?どうしたんだろう」と思っていると、しばしの沈黙のあと、ドライバーは重たい口ぶりで答えはじめた。
「岡田以蔵は・・テロリストでしたからね・・。犯罪人ですし・・」
どうやら・・そのドライバーは、岡田以蔵のことはあまり話したくないようだった。
以蔵のことについては、あまり触れてほしくなさそうだった。
ある意味、以蔵の話題は「タブー」的にも一瞬感じた。
前述の通り、私は岡田以蔵に対して、ドラマやコミックや映画や小説などに描かれたイメージで、悪いイメージを持ってなかったから、幕末土佐の輩出した群像の一人としてドライバーとの話題に出したのだが、地元のそのドライバーにとっては「触れてほしくない人物」なのかと思うと、少し意外に感じた。
でも・・客観的に見れば「人斬り」であり「幕末のテロリスト」「罪人」の側面はあったのだから・・仕方ないのかなあ・・とも思い、複雑な気分だった。
もちろん、以蔵に対する感情は、高知の人全員が同じ感じ方なのかどうかはわからない。
人の感じ方は、それぞれ違う。
だから、以蔵に対してそんな悪いイメージを持っていない地元人もいてもおかしくない。
ただ、少なくても、地元人の中には、以蔵に対して「タブー」というか「触れてほしくない」というふうに考えている人もいるのは・・・わかった。
その事実を、私が少し寂しく感じたのは・・・以蔵を描いたドラマ・映画・漫画・小説の中でも、特にコミックの「お~い 竜馬」で描かれた以蔵のイメージが強いからかもしれない。
「お~い 竜馬」での以蔵は、竜馬と武市と以蔵の3人は、少年時代からの仲良し3人組として描かれていた。
以蔵は後年凄みのある人斬りになってしまったが、その反面「愛すべき奴」であり、「悲しい奴」であった。読んでて感情移入できる人物だった。
もっとも、それとて、「お~い 竜馬」の原作者である武田鉄矢さんや、作画の小山ゆうさんの創作したキャラであろう。
ただ、人間というのは色んな側面を持っているもの。
なので、実際の岡田以蔵にも「お~い 竜馬」の以蔵に通じる部分もあったかもしれない。
もちろん、なかったかもしれない。
それは今となっては誰にもわからない。
ただただ、時代の違う現代を生きる我々が、その人物を、歴史の流れの中でどう捉えるか次第なのだろう。
私の以蔵の捉え方から書くと・・地元人に「土佐の恥」とか「タブー」のように捉えられてるのだとしたら・・しかもそれが高知人の大半の捉え方なのだとしたら・・・複雑で、少し寂しい。
龍馬のことが大好きな人は多い。で、龍馬のことが大好きな人は・・きっと、以蔵のことも決して嫌いじゃない人は多いと思うから。
以蔵の墓は、かなりひっそりとした場所にあるらしい。普通に探したんじゃ見つけられないような、ある意味「人目につかないような辺鄙な場所」にあるようだ。
まあ、死に方が死に方だったからね・・。
だが、それでも以蔵の墓に行きたがる人はけっこういるようで、ネットで検索すると、以蔵の墓の近くには、以蔵の墓への行き方が書かれた看板が数か所立てられ、訪れる人にわかりやすくなっているとか。
案外、人気あるようじゃないか。
寂しく悲しく、あわれな死に方ではあったが、長い年月がたって、その間に色んな媒体で登場人物として描かれているうちに、少しづつ以蔵は同情されたり、報われたりするようになっているのかもしれない。
岡田以蔵さん。「よかったですね」・・・と言っても、いいですか?
ちなみに、以蔵の容姿に関しては、写真もなければ肖像画もない。
彼の容姿について誰かが語った言葉や資料も、私が調べた限りでは見つからなかった。
なので、岡田以蔵の容姿に関しては、今となっては誰もわからないのだろう。
個人的には、前述の「おーい、竜馬」での以蔵のイメージが強い。
ここまでこのブログで何度か書いてきたことだが、私は、若い頃の火野正平さんに一度でいいから岡田以蔵を演じてほしかった。
きっとハマったと思う。
火野さんは今はそれなりの年齢なのだが、彼が若い頃に岡田以蔵を演じていたら、私的にはイメージぴったりだったんだがなあ。
さすがに今の年齢の火野さんでは、以蔵を演じるのは無理があるけどね。
「テロリスト」「犯罪人」と断定してしまうと、幕末の志士たちは、ほぼ全員そうなってしまいますよね(笑)
動乱の幕末に突入し、幾多の運命に翻弄された男として、私は岡田以蔵には哀愁を感じますよ。
ご存知と思いますが、捕縛された岡田以蔵は役人たちの拷問に耐えきれず、土佐勤王党の秘密や暗殺行動を白状したために、「裏切り者」「腰抜け」などというレッテルも貼られていますね。
むしろ同じ土佐の志士・中岡慎太郎や坂本龍馬のように暗殺に倒れた方が、岡田以蔵にも少しは名声があったかもしれません。
「岡田以蔵の容貌」永遠に歴史の霧の中ですね…。
司令官として戦争で多くの人を殺したひとでも、新政府で働いた人もいますし。
岡田以蔵は、剣の腕だけがアイデンティティだったのが自身の最後にも影響してしまつたかんじです。
あの時代ならではの人物ですね。
彼が白状したのは、武市に捨てられたから…もいうのもあったのでは。
なんにしても、長生きはしにくい生き方ではありました。
彼がどんな容姿をしていたのか、今では知るすべがないからこそ、いろいろイメージが広がりますね。