連載中の漫画が、作者急逝のために未完で終わる場合がある。
実際そういう例を私はいくつか見てきた。
その作品の連載中、私が読んでいた作品だと、特に衝撃だし、残念だし、やりきれない思いになる。
その先、その作品はどうなるんだろう・・・と思ったりもするが、作者がもういないのでは続けようがない。
作者が、その作品のその先の展開を記した「創作メモ」みたいなものでも残していれば、アシスタントなどがそのメモを元に、絵を似せて続きを描くという方法もあるのかもしれない。
その場合、そのメモが、作品終了までの展開を記してあればいいけれど、結末が書かれていなかったりすると、無理して続きを描くと熱心なファンから批判される可能性もある。
仮に結末は描かれていても、そこまでの展開がはっきりしないと、結末までの「中途」は、引き継いだ人がふくらませていかないといけない。
そうなると、それもまた熱心なファンから批判される可能性もある。
そうなると・・・やはり作者がいないと続行は無理ということになる。
これとは別に、仮に亡くなった人が漫画家で、その作品に原作者がいたとする。
その場合は原作者がラストまでのストーリーを練り上げ、他界した漫画家の作風に似せて、別の漫画家が後を引き継ぐという手はある。
過去に、原作者と漫画家がぶつかったのか、漫画家が途中で降板した作品があった。
その時は、絵柄が違う漫画家が後を引き継いだ。
引き継いだ漫画家は、その元の漫画家のアシスタントだったわけでもないようで、絵柄は全然違っていた。
でもまあ、キャラは似せようとはしていたが、絵の雰囲気は全然違っていたので、1読者の私としてはけっこう面くらった。
でも、原作者は変わらなかったので、最後まで読んだけれど。
やはり、物語を作っていた人がいなくなると、続行は難しい。
そうなると、その未完の作品がすでに名作になりそうな予感のある作品だと、もったいないこと、この上なし。
私がこれまで読んだコミックの中で、未完のままで終わってしまったのが残念なのは、例えば手塚治虫先生の「ルードウィヒB」「火の鳥」と、石ノ森章太郎先生の「サイボーグ009」。
009の場合、「天使編」というエピソードが未完で終わってしまったのだが、作者自身このエピソードを完結させようとは試みたようだが、結局未完のままで終わってしまったようだ。
神々に戦いを挑む・・・という構想だったが、どう展開させ、どう収拾をつけるかをまとめるにはテーマが凄すぎたのかもしれない。
でも、ファンとしては、せっかく始まったエピソードなのだし、最後まで見たかった。
手塚先生の「ルードウィヒB」はベートーベンの話だが、題材が私好みだったので、楽しみにしていたのだが・・・題材に無理があったわけではないし、手塚先生が元気であったなら、きっと完成までいけた作品だったと思うだけに、本当に残念。
手塚作品と言えば「火の鳥」も未完。
手塚先生自身「火の鳥」はライフワークと位置付けていたので、命が尽きる前に完成まで描かせてあげたかった。
手塚先生も「火の鳥」を構想の最後まで描けなかったのは、心残りだったのではないか。
とはいえ、「火の鳥」は、それぞれの名だたるエピソード(いわゆる「○○編」)は完結しているので、そこは救いではある。
なんでも、「火の鳥」の本当の完結編予定だった「現代編」は、たった1コマの作品・・・そういう構想があったらしい。
その1コマがどんな内容のものであるかの構想はネットで調べれば出てくるのだが、さすがにその絵まではない。
今現在、未完に終わることを私が危惧してるのは、白土三平先生の「カムイ伝」。
これは本来全3部構成の構想だった作品だが、今現在描かれたのは第2部まで。
白土先生が御存命のうちに第3部が描かれることはあるのだろうか。
もっとも、すでに存在している第2部は、第1部に比べるとだいぶ趣が違う作品に思えたし、第1部完結から第2部までの期間が長かったため、第1部のテンションを望むのは無理があったのかもしれない。
巷の評価でも、2部は1部ほどの支持は得ていない感がある。
2部でこうなら、第3部となると・・・いささか心配な気持ちはある。
でもなんとか、白土先生がご健在なうちに・・と期待している私がいる。
この他にも未完の作品は多数ある。色んな作者の色んな作品に。
未完で終わった作品が、中断に至るまでの内容が凄いものであればあるほど、作者が健在でも、その続きを描くのは大変だし、勇気も必要なのであろう。
ましてや、作者が他界されているとなると・・たとえ構想ノートが残っていたとして、原作者の意思を継ぐ人が続きを描いて、その内容が傑作になったとしても、原作者ほどの評価は得られにくいのが現状ではないだろうか。
だとすると・・未完はそのままにしておくしかないという結論になってしまうことになるのだが・・・。
まあ、それが無難ではあるのだろう。
原作者へのリスペクトという意味でも。
もしくは、誰かが「続き」を描いたとしても、それを見たり読んだりする側が、ある程度ハードルを落として味わうしかない。
となると、それはもう描き手の問題ではなく、読み手の問題になるのだろう。
「続き」を描く人だって、その作品が偉大であればあるほど勇気が必要なわけだし、その「続きを描く人」だって、本当なら原作者に最後まで描いて欲しかったに違いないのだから。
未完成作品と、その後。
本当に難しい問題ですよね。
手塚治虫先生は、他にも『ネオ・ファウスト』も未完成のまま遺されています。
『火の鳥』最終章最後のコマは、「私(手塚治虫先生御自身)が書斎にて漫画を描いている場面」で終わらせたかった話は、何かで読んだことがあります。
又、漫画に限らず、小説でも事情は同じです。
夏目漱石による最後の小説『明暗』は、未完成のまま単行本になっていましたが、誰かによって『続・明暗』として完結させています。
又、太宰治『グッド・バイ』も未完成のままなので、私が完結させようか?という夢を抱いたこともあります(笑)
小説なら活字化されれば、読者には問題は無くとも、「原作者とは表現方法が違う」など、いささかの批判も付くでしょう。
しかし、漫画ともなると、絵柄は漫画の生命線ですからね。
いくら、そっくりに描くことが出来る者が、続編や完結編を描いたとしても、やはり違和感はあるでしょうね…。
『ルードヴィッヒB』は、私も大好きな音楽家がテーマになっていただけに、手塚治虫先生の死去によって、未完成のまま遺されていることは、本当に残念なんですよ。
粗筋を読んだだけで、ワクワクさせる名作が、その後どのように展開していったのか…?
火の鳥の完結編の構想は、何かの本か、あるいはネット検索か何かで読んだことがあります。
確か、1コマの作品になる予定だったという噂も耳にしました。
夏目漱石の明暗は、高校の頃に読みましたが、内容はすっかり忘れてます。
当時、夏目漱石、太宰治をはじめ、文学はあれこれ乱読してましたが、それぞれの内容は、忘れてしまってる部分が多いです。
作者の他界により続行が難しくなった作品は、残念ですよね。
ある意味、永遠のおあずけを食らってる感じで。
誰だって続きは読みたいはずですが、誰かが引き継いてでも読みたいか、そのままにしておくか、、これはジレンマのようです。
ルードヴィッヒB、火の鳥、009、、、、最後まで読みたかったです。