時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

通夜と熱中症

2017年09月08日 | 日々の、あれこれ

2017年の夏は、比較的冷夏であった。

雨が多かったからだろう。雨が降るということは上空に雨雲があるわけで、雲によって太陽は隠される。

そのため、晴れの日がいつもの夏より少なかった。

だが、たまに晴れて、太陽が照りつけると、その暑さは猛暑そのものだった。

もし、雨の日があんなに多くなければ、きっとこの年の夏は例年通りに猛暑、酷暑と言われただろう。

 

実は、8月の終わりごろ、私の同窓生の訃報が届いた。

小学校・中学校と計9年間同じ学校に通った人だったが、縁無く同じクラスになったことは一度もなかった。

なので、在学時代はほとんど話したことはなかった。

それが、卒業して長い時間がたち、同窓会がきっかけとなり、話す機会ができるようになった。

 

もっとも、在学時でも、相手の名前はよく知っていたし、在学時の顔も私は覚えていた。

また、近年の顔も当然覚えていた。

在学時にその人が住んでいた家の場所もだいたい把握していた。

 

なので、それなりに親近感はあった。

 

だから、訃報が届いた時には、悲しい気持ちになったし、通夜に参列することにした。

 

その通夜の日、東京は猛暑、酷暑であった。

なにせ気温は36度。

なにもしてなくても、ばてそうな日だった。

 

通夜には礼服を着ていくことになる。

通夜には、職場から直接行くか、あるいは早退で一度帰宅してから礼服に着替えて通夜に向かうか・・の選択になった。

 

職場から直接通夜に行くためには、職場に礼服を持っていくことになる。私は普段職場にはラフなかっこうであり、靴は革靴ではない。

なので、礼服を持っていくとなると、皮靴も持っていくことになり、荷物がかさばる。

それもなんだし・・ということで、私は職場を早退し、一度帰宅してから礼服に着替えて通夜に向かうことを選んだ。

 

帰宅したまではよかったのだが、私は礼服は冬物しか持ってなかったので、冬物の礼服に着替えることに。

だが、なんといっても36度の気温。

着替えた瞬間「これは辛い・・」と思ったが、通夜とあってはそうも言ってられない。

きっと会場では冷房の聴いた館内に並ぶことになるのだろう・・・そう思って出かけた。

会場までの道のり、吹きだす汗が止まらなかった。

だが、会場につくまでの辛抱。

 

 

そう思い、ハンカチを汗びっしょりにしながら、通夜の会場にむかった。

で、着いた。

すると・・参列者の数が半端ない。

どうやら某団体の関係者が相当きているようだった。

並ぶ列はブロックごとにわかれ、延々と続いていた。

とてもじゃないが、館内には収まりきらなかった。

 

結局、気温36度の屋外で、礼服を着た状態でずっと待ち続けた。

でも、何と言っても、9年間同じ学校に通った同窓生の通夜。悲しみや寂しさのほうが大きい。

焼香をあげるまでは「悲しさや寂しさ」の方が勝ち、気力も続いていた。

 

 

だが、焼香が終わり、家に帰る最中、私の体に変調があらわれた。

 

頭がボ~ッとしはじめた。

 

でも、帰宅までの辛抱。帰宅すれば、冷房をかけた部屋で冷たいビールを飲むこともできる・・そう思い、駅から自宅への道を歩き始めた。

 

だが・・・これがいっこうに家が近付かないような気分で。

 

気づけば、めまいがしてきた。

さらに・・・おかしなことに、呼吸困難にもなってきた。息が苦しいのだ。

頭の中がボ~~ッとして、めまいがして、さらに呼吸困難。

家が遠く感じたのは、私の歩き方が相当スローモーだったからに違いない。ふらふらしながら歩いていたのだろう。

 

で・・帰省本能を頼りに、やっとの思いで家に着いて、まずは冷房を入れ、ビールをがぶ飲み。

 

やがて、少しづつ体調が回復してきた。

そこで思ったのが・・・先ほどの自分の状態は、熱中症と呼ばれる状態だったに違いない。

 

熱中症で、めまいがすることは聞いていたが、呼吸困難になる症状も熱中症にはあるんだね。

 

もしも通夜でもっと並んでいたら・・更に、もしも自宅が駅から更に遠かったら、もしかしたら・・。

 

 

通夜に行って、その帰りに熱中症で路上などで倒れたら、悲惨すぎる・・。

 

でも、その日の私は、倒れる一歩手前だったのだと思う・・・。

 

猛暑の中の冠婚葬祭は、くれぐれも気をつけないとね。

それでも、たとえば結婚式なら、あらかじめ日程を調整することもできる。

だが、葬儀となると・・・通夜や告別式などは急に決まるから、日程の調整などあらかじめできるものでもない。

 

その一方で、亡くなった人への悲しみの気持ちもあるから、余計に辛い。

 

 

こればかりは、いかんともしがたいことではある。

 

 それにしても・・・同級生というのは、若い頃や幼い頃の元気だった姿を知っているだけに、その死というものは、寂しいものがある。

 時の流れの無常を感じたりする。あらためて。

 

なお、写真はこの記事に書かれているものとは関係ありません。あくまでもイメージです。


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2 コメント

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Unknown (だんぞう)
2017-09-09 11:50:52
以前、何かのネタで、このブログで、「若者は未来が多く、年配になるにつれ、過去が多くなる」ということを書いた覚えがあります。

生きてくにおいて何か支えが必要なら、若者は未来を支えにし、年配の人は過去を支えにするのもありだと思います。
年配の人は、蓄積が多いはずですから。

親族の他界も辛いですが、古い友人の他界も、、、辛いですよね。

私は、数人の友人、先輩などの訃報にも接してきてます。
連絡がとれない親友もいて、いつも心配してます。
元気でいてほしいです。

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Unknown (捨丸)
2017-09-08 23:52:13
暑い中のご参列お疲れさまでした。
私も喪服は冬物しか持ってません。逆に喪服の夏物しか持ってないって話は聞きませんね。

30〜40代は会社関係や取引先が多く、50代に入ってからは知人や友人の通夜・葬儀が増えてきました。
中でもとりわけ友人のものは精神的・肉体的両面で堪えますね。
私も一昨年、友人を亡くしました。
小学校・中学校が一緒で家も近所、その後も途切れる事なく付き合いが続いていた良い友達でした。
入院先が比較的近くだったので度々見舞いにも行ってましたが、
辛かったのは行くたびに彼の弱ってゆく姿を見なければいけなかった事…。
本人も先の事は分かっていたらしく、行くたびに話していたのは子供の頃の話ばかりでした。
私が忘れているような話をやけに詳しく、笑いながら話してくれましたね。
彼が言ってました。「なんだか昔の事ばっかり考えてるんだよね。楽しかったなあって」
そういうものなんでしょうかね…。
でも寂しいなあ、やっぱり。
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