私はたまに、とりとめのないことを考えることがある。
例えば今回の日記のネタがそうだ。
藤子不二雄というマンガ家は、ある意味日本のレノン・マッカートニーだったのではないか・・と。レノン・マッカートニーは音楽ジャンルで、藤子不二雄さんは漫画ジャンルだったという違いがあるだけで。
コンビのどちらも甲乙つけがたい才能があり、名作を多数世に送り出し、ヒット作も多いし、誰もが知る代表作もある。どちらも人気がある。
「藤子不二雄」という名義は、藤本弘さんと安孫子素雄さんの2人のコンビニよる合作名義で、どちらかひとりが描いた作品であっても、「藤子不二雄」というひとつの名義で発表していた。
この点はレノン・マッカートニーもそうだった。レノンとマッカートニーの2人による合作もあったが、たとえどちらか1人が作った曲でも、レノン・マッカートニーという共作名義で発表していた。
それは若き日の友情の賜物だったかもしれない。
なんか、共通するものを感じてしまう。
これが、どちらか一方の人だけが才能があり、もう1人はさほどではなかった・・というのであれば別だが、コンビのどちらも凄かったものね。
で・・
仮に藤子不二雄さんをレノン・マッカートニーに例えた場合、さしずめ藤本さんはマッカートニーで、安孫子さんはレノンかな・・と。
藤本さんは、広く一般大衆に受ける作品が多く、こと児童向け漫画では第1人者。、
安孫子さんにも一般性はあるが、同時にスパイスの効いた作品も多い。
藤本さんの代表作と言えば、泣く子も黙る「ドラえもん」をはじめ「パーマン」「エスパー魔美」「ウメ星デンカ」ほか。
安孫子さんの代表作と言えば「怪物くん」「忍者ハットリ君」「魔太郎が来る」「笑うセールスマン」ほか。
藤本さんは基本的に幼児漫画の第1人者を貫いた感はあるが、短編などでは割と青年向けの作品も多かった。ドキッとさせられるテーマの短編もけっこうあった。
でも、大衆性のある作風という意味ではピカイチだったと思う。
安孫子さんは「怪物くん」や「ハットリ君」などでは大衆性のある幼児漫画の傑作を残しているが、同時にちょっとブラックな作品も多い。
「魔太郎」や「笑うセールスマン」など、そのわかりやすい例だろう。
レノンとマッカートニーを比べると、ビートルズ初期のレノンは大衆性にあふれるポップ曲も多かったが、ビートルズ中期以後は実験的だったり、スパイスの効いた曲が増えていった。
一方マッカートニーは「イエスタデイ」「ヘイジュード」「レットイットビー」など、世代を超えて愛される大衆性のある曲を初期から後期にかけても、ものにしている。
作風という意味で大きく分けると、スパイシーなレノン、大衆性のマッカートニーというイメージが私の中にある。
もちろん、レノンの曲にも大衆性のある曲はあるし、マッカートニーの曲にもレノンとは違った意味でのスパイシーな部分もある曲もあるのだが、2人の作風の違いを一言で言うと、上記のような感じに思えるのだ。
だから、藤子不二雄は日本のレノン・マッカートニーだったように思えてしまうのかもしれない。
まあ、とりとめのない妄想ではある(笑)。
きっと異論もあるとは思うけど。
共通項があるものですね。
どちらも大雑把に言って1960~1970年代に活躍され
現在に置いても不動の人気を保っている。たいしたものです。
藤子氏のマンガは、子供の夢(ともだちに、オバケや忍者、
怪物ランドの王子がいたら) を、具現化した傑作だと思います。
ビートルズの曲は、中学時代に友人宅のステレオで聞いた
ことでファンになりました。レットイットビーの頃です。
マンガでは藤本さん、ビートルズではマッカートニーさんの
作品のほうが、ボクは肌に合う感じです。
大衆向けのわかりやすい作品って、聞いていて
旋律や詩が心の癒しになるんです。
彼らのマンガや音楽は、スタンダードナンバーとして、これからも
世界中の多くの人々の心の支えとなるでしょう。
この日記でやっと文章にしましたが。
もしかしたら私がレノンマッカートニーコンビが好きだから感じたことかもしれませんけど。
そう、普通の子供の家にある日突然特殊能力を持ったキャラがあらわれ、その子と友達になり、その子のことを助けてあげる味方になる…というパターンが多い。パーマンなんかは自身が特殊キャラになるパターンでしたが。
これって子供だけでなく大人にも魅力的なパターンですよね。
だから、子供時代に藤子作品に親しんだ人が大人になっても藤子作品を忘れないのかもしれません。
レノンマッカートニーも藤子先生も、大衆性とスパイシーさを合わせ持ったコンビたったことは、あの人気や成功の要因のひとつだったように思えます。
それほど有名な作品ではないですが、「21エモン」が好きでした。
そして忘れてはいけないのが短編集。藤本先生の才能が感じられました。
>安孫子さん
「笑ゥせぇるすまん」。平成元年(1989年)に『ギミア・ぶれいく』に登場。さっそく原作漫画を買ったら「藤圭子」「芦田伸介」と言った当時としては古いと思われる人が出てくる。巻末を見たら1969年から1971年まで連載。20年以上前の作品をアニメ化して大人気
大橋巨泉またはプロデューサーの眼力だったのでしょうか
藤子先生、水木先生、つげ先生、手塚先生、楳図先生、そのほかたくさん。
笑うせえるすまんは、元々は「黒いせぇるすまん」というタイトルでした。
>黒ィせぇるすまん
「化けた男」。奥さんと子供さんが可哀想です
手塚治虫先生の短編で僕が一番好きだったのは「雨ふり小僧」です。切ないラストでした・・・
手塚先生の短編(中編に近いかも)では私は「百物語」が好きでした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/402201cf92bdec83b643f77e7cfc73d54689dd7d
今頃天国で藤本先生と再会している事でしょう。
鈴木さんはアニメーターの方面に行かれましたから。
なんとも寂しいです。
安孫子さんと藤本さんが組んだ・・・という事実は、今となっては奇跡のような組み合わせだったと思います。
それこそレノン・マッカートニーのように。
合掌・・・。
魔太郎と違ってタカリと言うイメージでした。
>彼等の影響力は音楽だけでなく、文化面や社会面にも及んだのでしょうね。
ビートルズの影響を受けて映画に出たグループもあった事でしょう。
日本で言えばスパイダース
面白かったです。
魔太郎ほど有名ではありませんが、これまた傑作だった印象があります。
長年読み返す機会がないので、内容のほうはおぼろげですが、好きな作品だったのは覚えてます。
スパイダースの映画、1本だけレンタルで見たことがあります。
確か、どこまでも直進して歩いてゆく・・というナンセンスな映画だった気がします。