時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

校庭開放の昼下がり

2014年05月08日 | 懐かしい系、あれこれ

先日、某学校の塀ぞいにある道を歩いた。


その学校を見るのは久しぶりだった。


すると・・・その学校にあったはずの校庭が無くなっていたのに気付いた。


以前校庭だった場所には、新たな校舎がめいっぱいに建てられ、校庭はなくなっていた。


体育の授業はどうするんだろう、体育の授業をする場所がなくなってしまってるけど・・などと思った。


校庭がなくなってしまったんじゃ・・ねえ・・。


と思いつつ、何気に校舎を見上げてみたら、校舎の上に屋上があり、その屋上には柵がめぐらされていた。


どうやら、体育の授業は、その屋上の柵の中で行われるようだった。



だが・・・しょせんは屋上というスペース。校庭のスペースとは比べようがない。



もしかして、今の都心の学校の体育の授業は、屋上で行われる学校が多いのだろうか。


子供時代に、校庭で体育の授業を受けてた私としては、人ごとながら寂しい気がした。


というのは、校庭というものの魅力を私は感じていたからだ。



私の小学時代は、土曜が半ドンだったのだが、授業のない土曜の午後は「校庭開放」の名のもとで、生徒たちが校庭を自由に遊んで使うことが許されていた。


都心ゆえ、あまり広いスペースの遊び場がなかった子供にとっては、校庭開放というのはありがたかった。


校庭開放で級友たちと遊んだおかげで仲良くなれた子もいたと思う。


小学生は体が小さいので、校庭がかなり広く感じた。大人の目からみたら、たいした広さじゃなかったかもしれないが。


当然、普段の日の休み時間よりは校庭開放の時は人が少ないので、広い校庭をゆうゆうと使えた・・というのも、広く感じられた理由だったかもしれない。


なにより、もう学校の時間帯ではない「時間の外」だったので、教室に居る時や休み時間での校庭と比べ、皆の気分もくつろいでいて、割と和気あいあいだった気はする。


なにより、解放感があった。


校庭開放というのは、校庭そのものの開放と共に、生徒たちの心も解放していたのだ。



だが、学校の校庭がつぶされ、校舎が建てられ、子供たちの遊び場や体育の授業が「屋上」なのでは、校庭開放で味わえた「広々とした解放感」は得られないのではないかなあ。


でも、それに慣れてしまえば、たとえ屋上でも解放感は味わえるのだろうか。



校庭開放で、例えば野球をやった時、打ったボールが転々と校庭の隅っこのほうに飛んでゆく爽快感、そして、そのボールを追ってゆく感覚、また、鬼ごっこをやった時の「駆け回り」、「フライ取り」をする時にボールを高々と空に投げ上げる感覚、そして、校庭開放時に感じた大らかで穏やかな空気、その他・・などの感覚は、やはり「屋上」ではあまり味わえないと思うのだが・・。



それに、屋上は柵で囲われているぶんだけ、ある程度の閉塞感はあるのではないかと思えるのだが。


かといって、柵で囲っていないと、ボールなどが屋上を超えてしまったら、延々と階段を下りて取りに行かねばならないし・・。




そんなことを考えると


やはり、学校には運動場みたいな校庭は必要だと思う。屋上ではなく、地面にある運動場が。


例えば、この写真のような校庭が。














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