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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

少年チャンピオン、その凄すぎた絶頂期。

2020年10月02日 | 漫画・アニメ、そして特撮

少年チャンピオン、その絶頂期は、凄すぎた。

 

少年漫画週刊誌で一番売れてるのはジャンプなのだろう。

ジャンプが登場する前、少年漫画週刊誌は、少年マガジン、少年サンデー、そして少年キングがメジャーだった。

ジャンプは、少年週刊誌としては、後発だったのだ。

 

だがその後のジャンプの躍進はめざましく、1994年の末には発行部数653万部を記録。これは未だに破られていない、とんでもない記録だ。

少年マガジンも、「巨人の星」や「あしたのジョー」が連載されてた頃の人気は相当なものだったが、ジャンプの最高記録は飛びぬけていた。

 

だが、そんなジャンプをさしおいて、先輩格であったマガジンやサンデーをもさしおいて、ひところ発行部数でトップだった漫画週刊誌があった。

それが少年チャンピオンだった。

チャンピオンは、その創刊はジャンプと近い時期だったのではないか。

 

創刊当時のジャンプを支えた漫画は永井豪先生の「ハレンチ学園」と、本宮ひろ志先生の「男1匹ガキ大将」だった。

それに対抗するかのように、チャンピオンは、「ハレンチ学園」の永井豪先生に、チャンピオンで「あばしり一家」というコミックを連載させていた。このへん、ジャンプへの対抗心が、1読者だった私にも感じられた。

 

歴史があって、安定感もあったマガジン、サンデー、キング。

勢いのあったジャンプ。

それらのライバルの前で、チャンピオンは苦労しているように見えた。

 

だが、そんなチャンピオンは、やがてとんでもないような黄金時代を迎えることになった。それもそのはず、その黄金期のチャンピンの連載ラインナップは、凄すぎた。

なにしろ、今その当時のラインナップを見ても、信じられないような顔ぶれ、作品群。

伝説と言っても過言ではない内容。

 

その黄金期のチャンピオンは1970年代中盤から後半あたりか。

その頃のチャンピオンの連載作品は、今でも有名な作品が多く、しかもそれも漫画史に残るような名作が目白押し。

 

なにせ・・・すぐに思いだせるだけでも以下の作品が当時の少年チャンピオンに連載されていたのだ。

連載時期は多少ずれあう作品もあったかもしれないが、その時期の作品として私が思い出せるのは・・・

 

・ドカベン  水島新司

・ブラックジャック  手塚治虫

・がきデカ  山上たつひこ

・魔太郎がくる  藤子不二夫A

・マカロニほうれん荘  鴨川つばめ

・エコエコアザラク  古賀新一

・恐怖新聞    つのだじろう

・750ライダー  石井いさみ

・ゆうひが丘の総理大臣 望月あきら

 

もう、これだけでもすごい。「なにこれ?」という感じ。

このラインナップがその時代の少年チャンピオンに連載されてたのだ。

どれも有名な作品で、アニメ化されたりドラマ化されたりした作品多数。

大物漫画家や当時旬だった漫画家の代表作クラスが勢ぞろい。壮観。

今思うに、ブラックジャックの新作を毎週楽しみにして待ち、毎週読めたなんて、なんて贅沢な時期だったんだろうと思う。まさに、至福の期間だった。

 

他にも

・らんぽう 内崎まさとし

・花のよたろう  ジョージ秋山

・レース鳩0777 飯森広一

をはじめ、長期連載を誇った作品が多数。

 

もちろんこれ以外でも多数あったはず。すぐに私が思い出せないだけで。

 

当時、私の周りでは少年チャンピオンの話題でもちきりだった覚えがある。

 

「ドカベン」にしろ「ブラックジャック」にせよ「がきデカ」にせよ、「マカロニほうれん荘」にせよ、他にも他の雑誌に行ったら4番打者というか、メイン作品が務まる作品。そんな作品が何作も掲載されていたのだ。

4番打者が何人いるんだ?という印象。

 

当時、本屋でよく立ち読みしていた私であったが、本屋に行ってまず一番最初に手に取るのがチャンピオンだった。読みたい作品が多数載っていたから。

立ち読みだと、本屋のスタッフから途中で追い返されることがあるのだが、追い返される前にチャンピオンだけは読んでおこう・・・そんな気持ちがあった。

当時のチャンピオンの読者にとっては、読みたい作品がたくさんありすぎて困った(笑)。

 

なるほど、これならジャンプもマガジンもサンデーもタジタジだったのは仕方なかったろう。

よくこれだけの作品がその時期に連載されていたものだ・・と思う。

 

上の「当時の掲載リスト」の上段に記してある作品のうち、「750ライダー」は、途中からほのぼの&さわやか路線になって長期連載されていたが、初期はけっこう不良コミックっぽかったと思う。

作者の石井いさみ先生は、元々は私のお気に入り漫画家だった。特に先生の「のら犬の丘」のような熱血系作品が好きだったのだが、「750ライダー」が段々さわやか作品になっていくにつれ、少々とまどっていた覚えが私にはあった。物語も、キャラも、絵柄も。

 

「マカロニほうれん荘」は、当時まさに一世を風靡したギャグ漫画だった。今では、作者の鴨川つばめ先生のことを知らない人は多いかもしれない。

でも、ガキデカ、ブラックジャック、ドカベンなど、そうそうたる連載陣が並ぶ中でも、、まったくひけをとらず、チャンピオンの看板作品のひとつになっていた。

ギャグとしては、「がきデカ」と甲乙つけがたい人気があった。それほどの人気作品だった。

 

「エコエコアザラク」は、当時、楳図かすお先生と並ぶ「恐怖漫画の巨匠」だった古賀新一先生の代表作になり、その後ドラマや映画などにもなった。個人的に大好きなコミックだった。毎週新作が読めるのが楽しみだった。

 

「ゆうひが丘の総理大臣」は、当時の派手な作品が並ぶチャンピオンの中では、比較的地味な雰囲気も個人的に感じたが、当時の一連の青春ドラマのコミック版という感じ。実際、このコミックはテレビで青春ドラマ化され、続編的な作品が作られるほどの人気番組になった。ちなみに、作者である望月あきら先生の作品の中では「サインはV」と並ぶ代表作であったろう。

 「恐怖新聞」は、つのだ先生にとっては「うしろの百太郎」と並ぶ恐怖漫画の代表作になった。設定が衝撃だった。この作品もまた、私にとっては続きが毎回気になった名作であった。結末も衝撃だった。物語のああいう結末の仕方には、「こんな終わり方、あるのか?」と思ったぐらい。

「ドカベン」「ブラックジャック」「がきデカ」「魔太郎がくる」に関しては、今更ここにコメントを書くまでもないぐらい有名な作品であり、説明不要であろう。いずれ劣らぬ、漫画史に残る名作・傑作だ。

 

 

こんなスーパーな連載陣が揃っていたんじゃ、他の雑誌としては・・しょうがないよね。

 

でも、なぜ当時、こんなすごい連載作品が揃っていたのだろう。夢のような連載陣。

このラインナップなら、全盛時のジャンプと時期がかちあっても、勝るとも劣らない、良い勝負をしたはず。

 

 

今の私は、若い頃のようには少年漫画雑誌は読んでいない。

でも、ジャンプが相変わらず一番発行部数は多いらしいことは耳にしている。

 

そんな話を聞くたびに、上記のような連載陣が揃った少年漫画週刊誌が現在、他にあったら、どうなるだろう・・・と思ったりすることがある。

 

おそらく、どんな時代であっても、発行部数などで、他の少年週刊誌にひけをとることはないだろうと思う。

少年チャンピオン伝説の時代であった。

やはり、あの時代の少年チャンピオンは凄すぎた。今でも、そう思う。

 

 

 

 


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6 コメント

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Unknown (鮎川愛)
2020-10-02 21:00:59
当時、『週刊少年チャンピオン』をトップスターへと急成長させたのは、豪華絢爛なる漫画家の功績だけではありません。

その漫画家を支え、励まし、時には叱ることもあったでしょう編集者の功績も、決して忘れてはなりません。

特に「鬼」として、今でも業界では不滅の名を誇る『少年チャンピオン』編集長・壁村耐三先生は、凄まじいエピソードがたくさんあります。

今、『チャンピオン』発行元である秋田書店では、それを漫画化しているようですね。

単行本になれば、私は全巻揃えたいです(笑)
返信する
Unknown (だんぞう)
2020-10-02 21:24:53
これだけの連載陣を揃えた腕は、相当なやり手の編集長だったんでしょうね。
おいそれとあつめられるメンツじゃないです。
当時の時点でも人気漫画家ばかり。

また、各作品の担当者も実力者だったんでしょうね。 本当、名作・代表作揃いで、圧巻です。

当時の編集長を描いた漫画かあるんですか?
読んでみたいです。
返信する
Unknown (キャプテンゼロ)
2020-10-03 08:31:40
あの頃のチャンピオン、勢いがありましたよね。
まんが王の廃刊後、創刊されたのがチャンピオンでした。

石ノ森先生の「ちゃんちきガッパ」や「番長惑星」
横山先生の「バビル2世」も、おもしろかったです。
手塚先生の「ブラックジャック」は傑作でしたが、
「ザ・クレーター」「やけっぱちのマリア」なども
懐かしく思い出されます。
秋山先生の「ざんこくベビー」「ゴミムシくん」の
ちょっと哀愁のあるギャグが、好きでした。
石井先生の「750ライダー」も連載当初は、光が
竜童組や狂走赤軍とカラむ話が、多かったけど
後に青春さわやか路線になり、ピットインでの
やり取りが中心になって、ボクはこちらの
路線のファンでした。(委員長、可愛いかった)

「ドカベン」と「がきデカ」は、毎週ものすごい人気でした。
当時の壁村編集長が、やり手の編集者だったのは有名で、
マンガ家さんから見れば、鬼の編集だったでしょうが
チャンピオンの発行部数を、大きく伸ばし
秋田書店は、ビルが建ったと言われてます。
マンガが、子供の読み物から昇格してサブカルとして
根付き、広く市民権を得たのが、70年代のマンガだった気がします。
返信する
Unknown (だんぞう)
2020-10-03 10:50:51
ありましたね。勢いもパワーも。
そうですか、まんが王とバトンタッチだったんですね。
まんが王は、月刊誌でしたよね。
月刊誌から週刊誌へのバトンタッチだったんですね。

石の森さんも連載してたんですね。いやはや、新参の雑誌としては超豪華な連載陣!
社運をかけてたんですなあ。

750ライダーは、さわやか路線になってから、人気が安定し、長寿連載になった印象がありました。

がきデカからは、多数の流行語が生まれましたっけ。
んが、死刑、など。

やはり、当時のチャンピオンの編集長は、ただ者じゃなかったみたいですね。
返信する
Unknown (1938goo)
2021-04-20 20:55:55
「バビル二世」「ブラックジャック」はもちろん知っております。「750ライダー」はぼくが中学生の頃はほのぼの路線?になっており、こう言う作風なんだと思っていましました。後年、文庫版を買いました。
さっき読み返したら委員長は久美子と言う名前で、「名前(の設定)があったのか」と驚きました。

チャンピオンコミックスの最後の方のページに作品紹介がありまして、それでしか知らないタイトルも多いです。どうも「009」や「サブマリン707」のサンデーコミックスとチャンピオンを混同してしまうのです。

「マカロニ」は子供の頃通っていた床屋に置いてあり、笑い転げて読みました。これも後年買いましたが、著者はミリタリー、ロック、特撮などなど非常に造詣が深かったのだと思います。鴨川つばめはその後、「マカロニ2」「ドラ猫ロック」くらいしか描いてないのではないでしょうか。
返信する
Unknown (だんぞう)
2021-04-20 21:18:51
あ、バビル二世もチャンピオンだったんですね。
これまた有名な作品!
当時のチャンピオン、とれくらい掲載漫画のラインナップが凄いんだ!という感じです。

750ライダーは、最初はけっこうワイルドな感じがあったと思うんですが、途中からほのぼの路線になりました。 
私は石井いさみ先生は、熱血漫画のイメージがあったので、ほのぼの路線には少しとまどってました。

でも、あのほのぼの路線のおかげで長期連載になったのかもしれませんね。

009や707は、サンデーコミックスでも人気作品でした。
特に009は、サンデーコミックスの大看板だったと思います。
私、持ってました。

マカロニも人気ありましたね。
一斉風靡してた作品だったと思います。
キャラの、菱形の口が特徴的でした。

鴨川さんは、マカロニ以外の作品のイメージがありません。
あの作品だけ、飛び抜けていたと思います。
返信する

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