三国志のゲームは多数製作され、販売され続けてきている。
その中でも定番の三国志ゲームといえば、やはり光栄の三国志なのだろう。
だが、ここで取り上げたいのは、ナムコで開発された「ナムコ三国志 中原の覇者」である。
私が1番最初に遊んだ三国志ゲームは、やはり光栄の三国志だった。
めちゃくちゃハマり、友達にも光栄三国志を勧めた。話題を共有したくて。
その友達もまた三国志ファンであったし、プレイすればぜったいハマると思ったし。
ほどなくしてその友達も三国志ゲームを始めた。てっきり私が勧めた光栄三国志だと思った。
だが、よく話を聞いてみると、彼が遊び始めたのは光栄三国志ではなかった。
聞けば、ナムコの「三国志 中原の覇者」だという。
しかも、めちゃくちゃ面白いと絶賛している。「こんな面白いゲーム、なかなかないよ」と。
私は「え?光栄三国志以外にもそんなに面白い三国志ゲームはあるの?」と思い、試しに彼の家に行ってみた。
そして、ナムコ三国志中原の覇者の画面を見せてもらった。
すると、光栄三国志とはかなり雰囲気が違う。
通常画面も、合戦画面も。
彼がナムコ三国志中原の覇者を遊ぶゲーム画面を見ながら、特に私が印象に残ったのは、合戦場面での陣形の違いによる有利・不利。そして計略が成功したり失敗した時の武将の表情の変化。これが思いのほか楽しい。
例えば諸葛孔明などは、常に冷静で、あまり感情を表に出さないイメージがあるが、そんな孔明が計略が成功してニコニコ笑ったり、失敗してしょんぼりしたりと喜怒哀楽を顔に出すなんて、妙に人間くさくて、見てて親近感を持つ。
そしてそれは孔明だけではなく、他の武将にも言える。
今でこそ、三国志のシミュレーションゲームは様々なものが出され、シミュレーションゲームとしては定番になっている。
だが、このナムコの「三国志 中原の覇者」が出た1988年頃は、三国志ゲームがあれこれ出回ってはいなかった。
改めて調べてみたのだが、後に三国志ゲームの定番となっていく光栄の三国志のファミコン版が出たのは1988年の10月だったようた。
ほぼ同時期に、光栄のファミコン版の初代三国志と、ナムコのこのゲームは出ていたことになる。
だとしたら。当時はやはり、三国志ゲームはあまり他になかったんだね。
三国志ファンが当時三国志ゲームを遊ぶには、光栄の三国志とナムコの三国志のどちらを選ぶかだったのだろう。
で、私は当初は光栄の三国志を選び、友人はナムコを選んだということになる。
結論としては、どちらの三国志ゲームも面白かったことになる。
光栄の三国志をいったんクリアした私は、代わりのゲームを探していた。
するとそこに、友人がプレイしていたナムコの三国志があったというわけだ。
友人はともかくナムコ三国志を「こんな面白いゲーム、他にないよ!」と絶賛していた。
そこで、試し私もナムコ三国志を買って遊んだということ。
ちなみに、その友人には私は光栄三国志を勧めた。すると、友人は光栄版にもハマった。
このへん。まさにギブアンドテイクだった。
今ではこのナムコの三国志ゲームは、埋もれてしまっている感はある。知らない人も多いだろう。
一方で光栄の三国志ゲームは、現役バリバリで、三国志ゲームの定番であり続けている。
差がついてしまったのは、ナムコの三国志ゲームには続編というか、新作が作られなかったからではないか。
ナムコの三国志も、新作が出続ければ、三国志ゲームの定番的な存在になったのかもしれない。
少なくても面白さでは、ナムコ三国志も光栄三国志も甲乙付けがたいくらい良かったので、新作が出なかったのがちょっと惜しまれる。
そんな気はしている。
もし、光栄三国志のプレイヤーで、ナムコ三国志を遊んだことがない方は、機会があればナムコ三国志も遊んでみてほしい。
合戦での陣形の有利不利がわかりやすく、計略が成功した時と失敗した時の武将の反応が楽しいから。
また、命令できる回数と、セーブできる回数には一定の縛りもあるので、細かいセーブを繰り返して一歩ずつゲームを進める遊び方に対しては、対価というべき制約もあるので、あまり緩ゲームにはならないと思う。
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