時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

寿命というもの

2013年07月25日 | 日々の、あれこれ

数年前、あるバラエティ番組を見ていた時のこと。

その番組では、ご長寿の方々を回答者に揃え、ある問題を出して、ご老人たちが咄嗟に浮かんだ答えを自由に答えてもらう・・という企画をやっていた。

その企画では、その問題に関しては、必ずしも正解を求めるものでもなく、むしろ自由に連想した答えを答えてもらう・・というのが面白い点であった。

その時の問題がどういうものであったかは忘れてしまったが、ご老人たちが咄嗟に浮かんだ答えというのが、

「霊柩車」 とか

「棺桶」  とか

「葬儀」  とか

そういう類の回答が次々に出された。

私の記憶では、その問題は、何もそういうものを連想させる問題ではなかったと思う。

咄嗟にクイズ感覚で私も自分なりの回答をあげてみたのだが、そういう類の回答にはならなかった。

 

こういう「咄嗟に思い浮かぶ自由な回答」というのは、その人が普段よく考えてる種類のジャンルの範疇から自然に連想して浮かんでくるものだとしたら、ご老人は自分の寿命の終焉というものを、日常的に意識することが多いのかもしれない。

自由に連想して答えていい問題に答えるなら、例えば、普段恋愛に関することを日常的に考えることが多い人なら、恋愛に関係する回答を連想するだろうし、家族に関することを日常的に考えることが多い人なら、家族関係の回答を連想するのではないか。

仕事関係のことを考えることが多い人なら、仕事に関連するワードを咄嗟に連想するだろう。

 

人間は、年齢と共に、自分の寿命というものをリアルに考えるようになるのだと思う。

若い頃は、自らの寿命というものには、あまりリアルには感じていなくても。

年老いた親族が入院して、私が見舞いに行った時、その人はだいぶ弱気になっていた。

ベッドで、「遺言を書かなくては」というセリフを何度か繰り返していた。

幸いその人は無事に退院し、事なきを得たのだが、自分の年齢や、自分の置かれた「入院」という状況から、寿命というものを日常的に意識していたようだった。

 

私はといえば・・・若い頃に、自らの寿命というものに対して、友と話し合ったこともあったが、あまりピンとはきてなかったと思う。

だが、やはり、それなりに年齢を重ねてくると、少しずつ自分の寿命というものは意識するようになっているのが自分でも分かる。

若い頃のように「ピンとこない」ものではなく、だんだん「リアル」に感じてきている。

もしも、老人と呼ばれる世代になったら、きっともっと「リアル」に感じるのだろう。

で、例えば上記のような「自由に連想して答えていいクイズ」などに、咄嗟に思いついた回答を答える時、寿命などを意識した答えを言うようになるのだろうか・・・。

 

 


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