
大河「べらぼう」の舞台を訪ねて、その2。
さらに大河「べらぼう」の舞台を歩く。
矢吹丈の像を見て、さらに土手通りを歩いていたら、あの有名な「見返り柳」があった。
かねてから話には聞いていたが、実際に見るのは初めて。
↑見返り柳は、ガソリンスタンドの前にあった。土手通りの向こうにはスカイツリーが見えていた。
↑さらに近づいてみた。吉原大門方面へ続く道の入り口というか、目印代わりという感じ。
↑見返り柳の解説。興味ある方は、写真をアップにして読んで下さい。
昔、吉原の遊郭で遊んだ人が、遊び終わって吉原大門を出て、カーブになって大通りに繋がる道を歩き、名残惜しそうに吉原大門方面を振り返ってみたら、道がカーブになってるために、そこからはもう吉原大門は死角で見えない。
そんな場所にあった柳が、見返り柳と呼ばれるようになった・・ということだ。
このカーブになってる道は五十間道(ごじっけんみち)と呼ばれる道らしい。
この柳が立ってる土手通りからは、吉原大門方面は見えないのだ。
いわば、吉原大門方面への入り口の目印的な柳だ。
ちなみに吉原大門に続くカーブの五十間道は、土手通りから吉原大門が見えなくするために、意図的にそういうカーブの道になってるらしい。隠すように。
そしてその五十間道は、遊郭があった時代と同じカーブのまま残されていることになる。
↑この妙なカーブの五十間道は、遊郭時代のルートがそのまま今に活かされているもの。確かに土手通りからは吉原大門や遊郭街は見えなくなっている。
五十間道を歩いていくと、いよいよ吉原大門があった場所に到着!
道路の両側に「よし原大門」と書かれた柱が立っており、どうやらここが吉原遊郭の入口の門があった場所であることがわかった。
ここにあった吉原大門より先が遊郭街たったのだろう。
今では大門跡はすっかり地味になってしまっており、ちょっと見では分かりづらいかもしれない。
↑ここに吉原大門があったのだね。それを示す柱が対のように道の両側に立っていた。遊女たちがここから出られるのは、見受けされた時ぐらいだったのかな。遊女を見受けするには、相当な金がかかったらしい。
↑「よし原大門」と書かれた柱。ここが遊郭の入口で、この場所から先に遊郭街があり、夜は灯りが灯って華やかだったことだろう。
吉原大門の先に続くのは仲之町通りという通り。この道沿いに遊郭は並んでいたはず。
仲之町通りには、どこか妖しい雰囲気の喫茶店が多数あった。これは付近の風俗店の案内にも役立っていたのかもしれない。私のような単なる観光客は、ちょっと入りづらかった。
↑一見、何の変哲もない古びた石垣みたいに見えるが、実は歴史を感じさせる遺構だったりする。
↑遊女たちが逃げられないように、遊郭街は掘りで囲まれていた。これは当時の堀跡が今も残されている。
↑このあたりに堀が続いていたのだろう。今では堀は埋められて、道になっていた。
↑吉原の仲之町通り。あたりには風俗店が多数。
↑通りには、大河ドラマ「べらぼう」にちなんだ旗(?)が。ここが大河ドラマの舞台になっていることを示すもの。
↑このエリアの説明板。旧町名の由来案内。艶っぽい歴史がある地域なのだ。
↑吉原大門と耕書堂の説明プレート。
↑特設の土産物屋「耕書堂」。ちなみに耕書堂とは、蔦屋重三郎の当時の店の名前でもある。この土産物屋は、それにちなんだネーミング。実際の蔦屋重三郎の店「耕書堂」は、吉原大門の外にあったらしいが、大河ドラマ効果で来客が増えることを見込んで設営された特設売場みたいなこの店は、大門の内側にあった。
この特設売場的な土産物屋で、ささやかな土産物を買った後、私はさらに仲之町通りを歩き進んでいった。
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