湯の澤鉱泉に行くには、常磐線から水郡線に乗りかえるのだが、その乗り換え駅が水戸駅である。
かなりメジャーな町である。
水戸と言う言葉から連想できるものは、案外多い。
もちろん水戸黄門はその筆頭であるし、他にも最後の将軍・徳川慶喜、慶喜の父・徳川斉昭。
幕末を動かした水戸の尊王攘夷派である天狗党。
日本3大庭園のひとつ偕楽園。
そしてなんといっても、納豆!
だが、これまで私は水戸にきたことはなかった。
だから水戸の町については、あまりリアルなことは分からなかった。
水戸は、今回の私にとっては「初めて訪れる町」だった。
駅の改札を出て、町に出てみれば、すぐに水戸黄門・助さん・格さんの3ショットによる銅像があり、ここはおそらく待ち合わせのスポットではないか。
また、駅を出た旅行者がすぐに見つけ、そして記念写真を撮りたくなる「観光スポット」の一つでもあるだろう。
そして、町の観光案内を調べてみると、いやあ見るべきところがあるわ・あるわ。
大半は歴史的意義をもつもので、どれも水戸黄門や幕末をしのぶものが多い。
というか町のあちこちに史跡がある感じ。
例えば水戸光圀の生誕地には、小さな神社があった。
そして、黄門さん生誕の地の近くには、黄門さんソロの銅像が建っていた。
他には、水戸芸術館や茨城県立歴史館、水戸城跡。
かと思えば偕楽園みたいな、「フルで見ると一日つぶれる」ような大きな庭園もある。
千波湖という、湖というより大きな池ではボートも乗れる。遊歩道もあるようだ。
森林公園もあるようだ。
そして、私が行った徳川博物館。
また、水戸の面目でもある納豆の「納豆展示館」。私は納豆が大好きなので、時間があれば、この展示館にも行ってみたかったなあ。
などなど、見てまわれる場所が、これほどあるとは思わなかった。脱帽。
水戸の町、おそるべし。
なにやら、昔私が旅した萩の町のように、この町だけでも1旅行分時間を費やせそうだった。
ちょっと立ち寄っただけでは、まわりきれない。
それぐらい、見どころの多い町だと思った。
全体的には、やはり水戸黄門さんのカラーが強いかな。
それは予想してはいたが、かといって黄門さんだけに頼っているという感じでもなく、他の要素も多い。
そういえば、タクシーに乗った時に、私は運転手に、東日本大震災のことを聞いたのだが、あの大地震の時は駅前のビルの窓ガラスが地面に落ち、散乱していたとか。
↑この写真は駅前。
左側の建物が水戸駅ビル。
真ん中に写っている木のすぐ左側には、黄門・助さん・格さんの3ショットの銅像が建っているのがわかる。
駅ビルの近くには、ビルがいくつも建っているが、震災の時は、これらのビルの窓ガラスが落ちて散乱したのだろうか。
そして、町のあちこちには、まだ復興しきっていないものもけっこう残っているらしい。
つくづく、東日本大震災の被害は、そう簡単には修復できるレベルのものでなかったということを実感させられた。
宮城・岩手、福島の被害が深刻なものであったのはもちろんだが、やはり・・・茨城の被害も・・・相当なものだったのだ。
そのことを改めて実感して、私は水戸を後にした。
スーパーひたちに乗ってしまえば、水戸から上野までは1時間ぐらいだ。
電車が走る関東平野は、車窓から見てると・・・ただただ、だだっ広く見えた。
ちぎれ雲が、ときどきのどかに浮かんでいた。
電車は次々にそれらの雲を追い越して進んだ。
東京へ。
上野へ。
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