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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

真田の里を巡る (私の上田旅行記 3)

2016年11月25日 | 

上田旅行の2日目。

この日訪れたい場所を、どうしたら効率よく周れるか、あれこれ考えた結果、タクシーを呼んで、行きたい場所を伝えて、観光タクシーとして利用することにした。

 

上田には、周回バスや通常の観光タクシーがあり、パンフレットを見ると、周る場所は大体どれも同じ。

私が訪れたい場所は、大半はその中に入っていたが、中にはどの観光ルートにも入っていない場所もあった。

それが「千古の滝」と呼ばれる場所だった。

 

朝、宿を出ると、指定した時間とおりに、タクシーが来ていたので、さっそく乗り込んだ。

そして行きたい場所を伝えた。

まずは長谷寺(ちょうこくじ)。

ここは真田氏の菩提寺である。

寺に着くと、アーチ状の入り口が目に入った。

 

 ↑ 長谷寺(ちょうこくじ)。独特のアーチになっている入口が印象的。

 

 ↑ アーチをくぐって、振り返って一枚。

 

 

↑ さっそく中へ。 

 

 

アーチ状の入り口をくぐり、境内に進み、さらにその裏手の方まで歩いていくと、周りの木々に守られるように、並んで立っている三つの墓が目に入った。

それは、真田幸隆公の墓と、幸隆公の奥方の墓、そして真田昌幸公の墓であった。

 

 ↑ 左が真田幸隆の妻の墓、真ん中が真田幸隆の墓、そして右側が真田昌幸の墓。大事に守られている。決してフィクションの人物ではないのだ。こうして墓を実際に見ると、実在したことを実感させられる。

 

 

 ↑ ということです。

 

 

その三つの墓は柵で守られるようにあったが、その柵の外側には、幸村公の慰霊碑があった。

なんでも、幸村公の慰霊碑は最近建てられたものらしく、見ると確かに新しい感じだ。

まあ、そのへんは幸村の人気ゆえであろう。

 ↑ 真田幸村の慰霊碑。幸村の息子・大助がもしも長生きしてたら、きっと活躍して、ここに並んで慰霊碑が立てられたのかもしれない。

 

 

その墓や慰霊碑を少し離れた所で見ると、木漏れ日のさしこみ方が実に穏やかで、木漏れ日に照らされた真田一族もまた穏やかに悠久の時の中で眠っている気がした。

 

↑ 真田一族の墓を少し離れて、一枚。木漏れ日が、良い感じ。 どうぞ、安らかに・・・。

 

↑ 長谷寺の鐘。鳴らしてもいいということなので、鳴らしてみたら、あたり一面に音が響いた。

 

 

 ↑ ちょっと字が読みづらく、すみません。

 

長谷寺の次に訪れた場所は山家神社。

 

 ↑ 山家(やまが)神社に向かっていく。

 

↑ 山家神社。 

 

山家神社の横には真田神社がひっそりと。

ちなみに真田神社というのは上田にはいくつかあるようで、山家神社の脇の真田神社はその中のひとつ。

山家神社の脇の真田神社では、昌幸も幸村も、そして信幸も神として祀ってある。

 

↑ 山家神社の隣の真田神社。鳥居がなにやら新しく、鮮やかな赤。 

 

 

 ↑ この真田神社は、真田幸隆・昌幸・信幸(信之)、信繁(幸村)が神なのだ。戦没者も。よかった、ここでは信幸も一緒だ。真田家を存続させたのは、信幸さんだものね。関ヶ原や大阪の陣では、敵味方になってしまったけれど、ここでは再び親兄弟と合流することができている。よかったね。

 

 

 

そして山家神社の次に訪れたのは真田本城跡。

真田ゆかりの山城跡では、車で登っていける唯一の山城跡だそうな。

 

 ↑ 真田本城跡、入口。わくわく。

 

 

 ↑ 真田氏、本城跡。さあ、入って行こう。

 

↑ 真田本城跡に向かって、一歩一歩進む。 この日は、日差しが祝福してくれてるかのようでもあり。

 

ここからの眺めは素晴らしい。真田家が統治した小県(ちいさがた)郡の地域が一望で見おろせる。

眼下に小県の町が見え、遠望には様々な山々が見えた。

 

 

 

 ↑ 御覧の通りの展望。この日は空も快晴で申し分なし。写真の右向こうに見えている山は、砥石城のあった山。ちなみにこのあたりは、大河ドラマ「真田丸」のロケでも使われた。

 

↑ 標高は895メートルらしい。 スカイツリーより高いぞ。 

 

 ↑ 真田本城の本廓の土塁。感慨深い。今は、地面から飛び出た根っこが無言で語っている。

 

 ↑ 本廓を、少し離れて見る。今私が歩いているここに、真田の本城があったんだね。当たり前の話だが、あらためて真田一族が実在の人物であったことを実感する。今は・・静かだ。

 

 

 ↑ 真田本城跡は、この先にも続いている。

 

 

 ↑ 遠景にはさまざまな山々が連なる。ここも、いい眺めだ。

 

 

↑ 小県(ちいさがた)の現在の遠景。この辺を真田氏は統治していたのだね。 

 

 

遠望の山々の中には、砥石城のあった山も見えた。

ということは、その下方の近くには神川(かんがわ)が流れているということだ。

 

 ↑ 写真正面の、向こうの方に見えるのが砥石城のあった山。

 

 ↑ 砥石城のあった山をアップで見る。

 

後から思ったことだが、上田観光のために上田に来る方は、上田城だけでなく、この真田本城跡にも来ておいたほうがいいと思う。

車で気軽に来れるし、眺めが最高であり、真田が統治した地域がどんな場所なのか実感できる。

上田に観光で来る方にとっては上田城がマストであるのはもちろんだが、もう一か所のスポットを選ぶなら、迷わずここだ。

時間的に余裕がないなら、他の場所は犠牲にしてでも、上田城と真田本城跡は押さえておきたい。

 

この日は快晴だったため、いつまでもこの場所にいたいぐらいだった。

 

 ↑ 真田氏本城跡の案内板。その向こうには小県。

 

 

 

↑ 読めますか? 

 

 

 

名残惜しさを感じつつ、やがて真田本城跡を後にした私は次に真田歴史館に行った。

だがすぐには歴史館には入らず、まずは近くの真田氏館跡に行ってみた。そこには、皇太神社があった。

ここでも穏やかな空気が流れていた。

 

 

 

 ↑ ここには皇太神社もあった。

 

 

その後、あらためて真田歴史館に。

正直この歴史館がどれほどの規模のものか分からなかった私は、ここでどれぐらい時間を費やすことになるか、読めなかった。その間、外では観光タクシーに待ってもらってるわけだから、あまりに時間がかかると、その分観光タクシーの料金がかさむことになってしまう。

だが、実際に中に入ってみると、展示フロアはほぼ1室のみ。

なので、あまり興味がない人なら、ものの5分くらいで見終わってしまうかもしれない。

私は真田に興味が元々あったので、それなりに見てまわったが、それでも30分くらいあれば十分だったかな。

思ったより規模の小さな歴史館ではあった。

 

 ↑ 真田氏歴史館、表門。

 

 ↑ 真田氏歴史館。

 

 

 

ちなみに、この歴史館の建物の中には、軽食をとれる店もあるが、おはぎ系。

それなりのボリュームの昼飯をとるなら、別の場所でもいいいだろう。

まあ、それまでの「つなぎ」の食事なら、大丈夫か。

 

 

思ったよりは歴史館で時間を費やさなかった私は、次に「幸村夢工房」に立ち寄った。

ここは「道の駅」みたいな場所だと聞いていた。

ここではレンタルサイクルがあるので、周辺を自転車で周るなら、ここは観光の拠点にはなるのだろう。

中ではお土産なども売られているが、ちゃんとした食事をとれるような店はないので念のため。

お腹がすいてるなら、ここで「おやき」でも買って「つなぎ」にしておくという手もある。

 

 

さて。

「幸村夢工房」を後にした私は、今回の旅行で「角間渓谷」と並んで重要視していた場所「千古の滝」に向かう前に、あの「砥石城」の入り口に向かうことにした。

砥石城は真田が徳川との戦でポイントになった場所だし、千古の滝は猿飛岩に匹敵する伝説がある滝だ。

楽しみ。

 

 

 ↑ おまけ。 町の片隅にあった、真田幸隆のレリーフ。大河では描かれなかったけど、真田幸隆は極めて優秀な武将だ。武田信玄でも落とせなかった砥石城を、知力で落としてみせた。その名将ぶりは、子である昌幸や、孫である信之や信繁(幸村)に受け継がれていく。優秀な真田のDNAだ。

 

↑ おまけ2。こちらは、真田昌幸のレリーフ。大河の昌幸とあまりにイメージが違いすぎる・・という感想を持つ女性来訪者が多いそうな。確かに、草刈正雄さんの昌幸イメージとはだいぶ違う。 

 

 

 ↑ おまけ3。同じく、幸隆・昌幸と並んで、幸村のレリーフ。真田三代、そろい踏み。で、あのう・・信之は??? 

 

 

 

 なお、トップ写真の小県の遠景の右奥からは、信之が後年統治した松代に抜けられるらしい。

 

 


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