砥石城に向かう道の途中、「砥石崩れ」の現場が現れた。
「砥石崩れ」とは、武田(信玄)軍が、当時村上義清の居城のあった砥石城を攻めて、負けた時の合戦。
砥石城は山城で、山自体はさほど高くないのだが(そのへん、現地に行くと、よくわかった)、険しい崖に阻まれており、この城を攻めるには、限られた場所から攻めるしかなかったようだ。
で、ある崖を武田軍は攻め登ろうとしたのだが、兵数では村上軍に大きく勝る武田軍をもってしても、崖の上から石を投げたり煮え湯を浴びせられたりして、ついに武田軍はこの城を落とすことができず、負けてしまった。
それを砥石崩れというようになった。
武田軍が登ったかもしれない・とされる崖は、木がとぎれ、今でも崖があらわになっていた。
その崖を見た私は、「武田軍は、こんな崖を登って攻め込もうとしたのか?そりゃ無理でしょうよ」としか思えなかった。
あまりに険しすぎるではないか。
信玄さん、そりゃ無謀というものですよ・・。
単に登るだけでも険しすぎるだろうし、ましてや敵軍が山の上に布陣して、崖を登ってくる武田軍の兵に石を投げたり、煮え湯を浴びせられたりしたら・・登り切るなんて無理としか思えない。それは、その崖を今見てもそう思う。
というか、こんな崖を登って攻め込もうとしたこと自体が、ちょっと信じられないのだが、、、。
↑ 砥石城に向かう途中に見つけた、砥石崩れの現場(?)。民家の向こうに、ひっそりとあった。
↑ 砥石崩れの現場に、少し寄ってみた。急な崖であることが、今でもよく分かる。なぜこんな崖ができたのだろう。もしや、大昔に山崩れでもあったのかな??
↑ もっと寄ってみた。こんな崖、登ることすら難しいだろう。というか、よくこんな崖を登って戦をしようと思ったもんだ・・。信じられん・・。上から石でも落とされたら、アウトに決まっている。 何もできないまま、ただやられて落ちていくだけではないか・・。
砥石崩れの現場を見て、上記のような思いを持った私は、その後、その砥石城の入り口に着いた。
本当は砥石城の城跡まで登って行きたかった。だが、行くとなると、けっこう時間がかかりそうだった。
その間、タクシーを待たせていたんじゃ、どうも気がせいてしまう。
待たせる分だけ、お金もかかるわけだし。
仕方なく、砥石城入り口のあたりだけをうろついてみた。
↑ 砥石城登山口に、こんな石の看板が。「なめんなよ!」のメッセージが強烈(笑)。でも、砥石城へのルートは、けっこう実際に険しいそうな。
↑ 砥石城の櫓門への道。 せっかく来たのだから、少しだけでも・・・攻め込んでみる?
↑ 砥石城の櫓門。幸村らしきキャラの看板が掲げてあるが、アニメチックなキャラ設定だなあ。ちなみにあの櫓門に登ってみることにした。
↑ 砥石城の櫓門の上からの眺め。殿に「現在、異常なし」とお伝えくだされ。
↑ 砥石城への登山道。タクシーを待たせてなかったら、登ってみたかったがなあ。
砥石城跡まで行くのは、また別の機会にしたほうが良さそうだ。
歩きでしか行けないし、納得できるところまで行くには、ちょっとした登山になるので、それなりに時間はみないといけない。
入り口にタクシーを待たせている状況じゃ、ちょっとね。
この点だけは、今回の旅で唯一心残りになった。宿題という感じ。
いつかまた上田に来る時は、ピンポイント的に砥石城跡目当てで来るかもしれない。
砥石城に心を残した状態ではあったが、とりあえず予定通りに、私はこの後「千古の滝」に向かった。
なんでも、千古の滝は、運転手もまだ行ったことがなかったようだ。
観光客もあまり行かない場所らしい。
ただし、その滝の近くには千古温泉があるので、その温泉に行く客なら千古の滝にも行くだろう。
でも、上田の観光タクシーや周回バス(?)のルートには、この滝は入っていない。
なので、マイカーならいざ知らず、バスやタクシーで巡る人は、中々この滝までは来ないのだろう。下手すれば、この滝の存在も知らないまま帰る人もいるかもしれない。
そんな「千古の滝」に私がこだわったのには、明確な理由があった。
それは、・・この滝は、霧隠才蔵が修業をした場所・・とされている滝だからだ。
前述の通り、猿飛佐助だけでなく霧隠才蔵も架空の人物である。
なので、この滝で才蔵が実際に忍者修業をしたというわけではないだろう。
だが、猿飛佐助が修業したとされる猿飛岩も、霧隠才蔵が修業したとされる千古の滝も、物語の舞台として、来訪者は空想の中でイメージを膨らませて楽しむことができる。
真田十勇士が好きで、佐助も才蔵も好きな私としては、猿飛佐助伝説の場所に行くなら、霧隠才蔵伝説の場所にもしっかり行っておかないとね。じゃないと、大きな心残りになってしまうは必定。
このへんは、私のマニアックなこだわりだったかもしれない。
↑ 千古の滝、入口近辺。こんな人里の中に、ひっそりと(?)、その滝はある。
↑ 千古の滝、案内板。ここが入口。近くには千古温泉がある。才蔵さん、やって来ましたぜ。貴方に会いに。
千古の滝は、道路からはすぐに行ける。あまり高低差のない斜面だし、一応ルートもわかりやすいし。そのルートを進めば、滝壺のすぐ近くまで行ける。
滝自体はさして高低差があるわけではない。
だが、ふたつに別れた滝が流れ落ちる様は、中々風情があった。きれいな滝だ。
↑ 千古の滝を、やや「寄って」パチリ。御覧の通り、二つの滝が左右に並んでいる。 ここでは、クールでイケメンの天才忍者・霧隠才蔵が修行でシュッ!佐助にゃ負けんぞ。「佐助よ、お前の力を、俺に見せてみろ。」
↑ これはズームしていない。肉眼で見た風景、滝のこんな近くまで行ける。 修行で才蔵がシュッ、シュッ!「ふ。佐助よ、術比べしてみたところ、どうやら俺とお前は互角のようだな」。
↑ 千古の滝の、奥の方の滝。御覧の通り、何段かに分けて落ちてきている。修行で才蔵がシュッ、シュッ、シュッ!「佐助よ、分かった、俺も幸村様に手を貸そう。お前と出会えてよかったぜ。」
↑ 千古の滝になって流れる、洗馬川。かくして、このあたりで修業していた才蔵は、やがて佐助と出会い、術比べをしたところ互角で、佐助に誘われて仲間になり、晴れて幸村の配下に加わったのでした。以後、真田十勇士の花形スターとして、佐助とツートップで大活躍することになったのです。幸村はまたひとり心強い仲間を得たのでした。
↑ 千古の滝の近くには、こんなベンチも。観光スポットだと思うのだが、なぜあまり知られていないのだろう。せっかく、あの霧隠才蔵ゆかりの滝なのに。
猿飛び岩では佐助は、あの険しい崖を猿のように自在に身軽に左右にピョンピョンはねて飛び移り、修業をしたのだろう。
ならば、千古の滝では才蔵はどんな修業をしたのだろう。水をあやつり、霧の幻術の修業でもしていたのだろうか。設定としては、ここで才蔵は水遁の術の修行をしたということになってるとか。
・・まあ、そんなことを想像して楽しむのもまた一興ではある。
山深い場所にある、佐助伝説の残る角間渓谷に比べたら、才蔵伝説の残る「千古の滝」のほうが、来やすいと思う。
しかも、なかなかの景勝地だとも思うので、上田に来る方は、時間があれば、この「千古の滝」にも足を延ばしてみたらどうだろうか。
とりあえず私の今回の上田旅行のいくつかの目的の中の、猿飛や霧隠ゆかりの場所を訪れるということは実現したので、この後上田の町に戻り、この日の宿に行き、チェックインにはまだ時間があったので、荷物だけあずけた。そして上田城跡公園方面に向かった。
お城は翌日行くので、この日はせっかくだから大河ドラマ館だけでも行っておこうと思って。
途中、上田藩主の居館跡にも立ち寄ってみた。ここは現在、上田高校になっているが、かつての上田藩主居館の名残が残っていた。
門は当時のまま、現在も学校の門として使われているし、学校のまわりには堀もまだ残っている。
堀のある学校・・・そんな学校、中々あるものじゃない。
きっと、生徒にとっては自慢ではないだろうか。
↑ 上田藩主屋敷門がそのまま保存され、今も現役で使われている。
↑ 上田藩主屋敷跡地は、今は上田高校が建っている。
↑ 掘りのある高校・・・こんな学校、中々あるもんじゃない。
そして、その後大河ドラマ館に到着。いやはや混んでたこと。
↑ 大河ドラマ館の館内で唯一のカメラスポットで。ここ以外は写真撮影不可だった。
この大河ドラマ館は、大河ドラマ「真田丸」が終われば、ほどなくしてなくなってしまうのだろう。
大河ドラマ放送中ならではのイベント館ではある。
せっかくこの時期に訪れたのだから、入ってみない手はない。
売店では、このイベント館だけの弁当も売られてるみたいだったが、あいにく売り切れだった。
人気弁当なのかもしれない。
やがて宿にチェックインした私は、少し部屋で休んだ後、夕飯は街の居酒屋でとることにした。そのため再び外出。
居酒屋では、上田名物らしい「美味だれ(おいだれ)の焼き鳥」が美味かった。
ニンニクがよく効いてるタレで、塩味の野菜炒めにつけて食べても美味かった!
さて、明日は早くも最終日。あっという間だ・・。
だが、最終日の明日は、上田の一番のスポットである、上田城に行く。
とりあえず、明日のために、今夜は、上田の町の中のこの宿で就寝・・・。
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