最近の歌モノ曲を聴いてると、ほんと「譜割り」が細かい曲が多いなと思う。
めまぐるしく細かく動き回るメロディ、しかも音程の上下の幅も広く、息継ぎの間を入れるのも難しい曲も多い。
めまぐるしく細かく動き回るメロディではありながらも、しっかりメロディアスにはなっている曲は多い。なので、メロディライン的に魅力がある。
ただ、それを一般人が歌いこなすのは、かなり難しい曲は多い。
音程をとるのもそうなら、音程の上下の幅もそう。
そういう歌を歌ってるシンガーに対しては、よくこんな難しい曲を歌いこなせるな・・などと感嘆してしまうことが私にはある。
まあ、だからプロなのだ・・・と言ってしまうのはたやすい。
ただ、そういう歌が、幅広い世代に歌い継がれるのは難しいのかもしれない。
だから今はターゲットになる世代を絞った曲が多いのかもしれない。
そのへんは、歌謡曲全盛の時代と、現在の違いかもしれない。
歌謡曲全盛の時代の歌謡曲は、覚えやすいものが多かった。それは幅広い世代をターゲットにしていたからではなかっただろうか。
歌がうまいリスナーはもちろん、歌があまりうまくないリスナーでも覚えて歌えるような曲ということで。
リスナーには、歌がうまい人もいれば、歌がうまくない人だっているわけだしね。
まあ、逆に言えば、歌に自信がある人などは、難曲にチャレンジして歌いこなせば、周りから一目置かれるかもね。なので、そういう人は、チャレンジしがいがあるだろう。
ともかく、楽曲のテクニカルな面で、昨今生み出される曲はレベルがかなり高いものが多いと思う。
それには、ボーカロイドなどの存在なども影響してるのかもね。少なくても、ある程度は。曲作りをする段階において。
ボーカロイドなら、どんな難しい音程も、音域も、息継ぎ問題も関係ないからなあ。
逆に、ボーカロイドでないと歌えそうもないように思える難曲を歌いこなしてしまえる生身のボーカリストの実力は、すごいと思う。
実際そういうシンガーはいるしね。
歌謡曲全盛時代にも当然難しい曲はあった。たくさんあった。
だが、当時の「難しい曲」と、今の「難しい曲」では、難しさのベクトルが違っているとは思う。
ボーカロイドは、どんな譜割が難しい歌でも歌えるし、音程の幅が広い曲でも普通に歌える。まあ、当たり前と言えば当たり前なんだけど。
ただ・・私はまだボーカロイドの歌う曲を聴いて、心に響いたとか、感動したとか、そういう思いはまだ一度もない。
仮に同じ曲を人間が歌ったバージョンとボーカロイドが歌ったバージョンを比較して、人間のバージョンのほうが下手だったとしても、聴いてて何かを感じられるのは人間の歌ったバージョン。
ボーカロイドはコンピューターが歌わせてるものだから、そこに感情はない。
人間の歌ったバージョンのほうは、たとえ下手でも、そこに感情はある。
感情を感じられるかどうか・・というのは、何気に大きいんだと思う。
デモ音源に使うには便利だと思うが、その音源を実際の「商品」として売るには、ちょっと・・。
というのが私の中のボーカロイドの「立ち位置」かなあ。
もしも・・ボーカロイドが「感情」を表現できるようになっていくとしたら、どんな出来上がりになるのだろう。
そのへんは興味ある。
アニメや漫画によく出てきたヒューマノイド型ロボットが、もし歌を歌ったとしたらどんな感じだったんだろうね。
まあ、漫画やアニメに出てきたヒューマノイド型ロボットは、少なくても画面の中では普通の人間と変わらない感じで描かれていることが多かった。
アトムしかり、アラレちゃんしかり。ドラえもんだって、猫型ヒューマノイドだし。もっとも、猫型のロボットをヒューマノイドと呼ぶのかどうかわからないけど(笑)。
もし彼ら、彼女らがリアルに存在して、歌を歌ったら、リアルワールドではやはり無機質な歌だったのだろうか。
それとも、感情というものをインプットされていたとしたら・・・どんな歌になったのだろう。
感情というのは、その時その時の状況によって変わる。
そこが難しいのだろうね。
もっとも、人間と同等の感情を彼らや彼女らが持ったら、興味はあるが、少し怖くもある…。
やはり人間の声ではない、情念がない、大変つまらないものでした。
ところで、昭和歌謡曲には、歌詞にも普遍性がありましたよね。
誰が聴いても、「そういう人間がいるんだな」と実感できるリアリティが。
最近の流行歌は、限られた世代・限られた内容ばかりで、とても共感出来たものではありません。
歌い手の感情が伝わってこないと、中々「感動」まではいきにくいです。
人を感動させるかどうかは、作り手、発信者の感情は重要な要素ですね。
最近、昭和のヒット曲に関心を寄せる若い人は多いみたいです。
特に歌詞に惹かれる場合が多いみたいです。
そのうち、昭和のような歌詞を令和のメロディーに乗せることが増えてくるのかもしれません。