大河「真田丸」などの影響もあって、がぜん注目を浴びることになった真田幸村。
私自身、毎回楽しみに待ち、見ている。
もともと日本史の人物の中でも高い人気を誇ってきた幸村だが、大河で描かれると、その注目度は更に加速。
これまで幸村をあまりよく知らない人にも、知られるようになったことだろう。
幸村関連の歴史検証番組も増えた。
幸村は昔から本や映画やドラマやコミックなどで描かれてきており、かなりフィクションで膨らまされた部分もある。
フィクションで膨らまされた要素では、例えば真田十勇士の存在がある。
幸村の配下には10人の並みはずれた勇士がいた・・という設定である。で、その十人が大阪の陣では大いに働き、家康をさんざん苦しめた・・ということになっている。
真田十勇士のメンバーは以下の通り。
・ 猿飛佐助
・ 霧隠才蔵
・ 三好晴海入道
・ 三好伊三入道
・ 由利鎌之介
・ 根津甚八
・ 海野六郎
・ 望月六郎
・ 筧十蔵
・ 穴山小助
以上の十人が定番だが、このほかに某小説などでは
・ 呉羽自然坊(くれはじねんぼう)
・ 高野小天狗
なども出てきたりする。
十勇士は架空の人物もいれば、実在した人物もいたようだ。
ただ、幸村存命中に「真田十勇士」などという呼ばれ方はなかったようだ。あくまでも「真田十勇士」というくくりは、後世のフィクションだ。
この十勇士という概念は、大正時代に出版された立川文庫という本によって確立されたものらしい。少なくても真田十勇士として設定され人気が出たのは、その頃らしい。
真田幸村と猿飛佐助・霧隠才蔵・三好晴海入道の3人の関係は、西遊記での三蔵法師と孫悟空・沙悟浄・猪八戒の関係が参考にされたようだ。
つまり、三蔵法師を幸村と見立て、孫悟空が佐助で、沙悟浄が才蔵、八戒が晴海入道・・というわけだ。
孫悟空が猿であったことを考えれば、猿飛佐助というネーミングには、なるほどという響きがある。
三好晴海入道は忍者ではなかったが、大柄で怪力無双の豪傑であったことを考えれば、確かに猪八戒にイメージ的に通じるものはある。
ただ、霧隠才蔵のモデルが沙悟浄というのは、個人的にはちょっと・・・。
というのは、真田十勇士では、佐助と才蔵はどちらもスーパー忍者であり、実力がまったくの互角であったからだ。
当時の子供たちの間では、佐助と才蔵は人気を2分していたようだ。サッカー風に言えば「2トップ」である。真田十勇士の花形だ。
それに比べ、西遊記の中での孫悟空と沙悟浄では、実力に差がありすぎる気がするし、才蔵の設定が沙悟浄だったというのは、才蔵に対して失礼すぎる気はする(笑)。
まあ、それはあくまでも、物語上の最初の設定のものであり、物語が進んでいくと、才蔵はどんどん独自のキャラクターになっていったのだろう。
もっとも、当初の才蔵は「霧隠才蔵」ではなく「雲隠才蔵(くもがくれさいぞう)」で、ちょっと情けない部分のあるキャラだったのを、後々の作家たちによって、少しづつ改良されていき、やがては佐助と同格のスターになっていった・・という説明もあるようではある。
まあなんにせよ、立川文庫のシリーズの中では、猿飛佐助編と、霧隠才蔵編はスーパーヒット作だったようだ。
立川文庫で真田十勇士が確立されてからは、その存在は一気に周りに普及していった。
あたかも実在の存在のように。
立川文庫での大ブレーク以後、佐助と才蔵のキャラクターも確立されていった。
そのキャラクターぶりは、その名前にも現れている気がする。
あなたは「猿飛佐助」と「霧隠才蔵」の名前から、それぞれどんなイメージを持つだろうか。
私が個人的に持つ猿飛佐助のイメージは、愛嬌があって、やや小柄で、身が軽くてすばしっこくて、明るくていたずら好きで、どこか少年忍者っぽい要素も残している天才忍者・・そんな感じだ。全体的には親しみやすく可愛いイメージ。
一方、霧隠才蔵は、佐助に比べたらやや大人びていて、寡黙でイケメンでクールでニヒルで、どこか翳りがあり、幻術系の忍法が得意な、二枚目の天才忍者・・・私が才蔵に対してもつイメージは、そんな感じだ。全体的には、かっこいいイメージ。
名前の響きから私はそんなイメージを持つし、実際それに近いイメージで、佐助と才蔵は描かれてきていることが多かったようだ。
佐助を主役にした作品は多い。
だが、才蔵を主役にした作品もしっかりある。
有名なのは、司馬遼太郎さんの小説「風神の門」。これはNHKでドラマ化もされた。
このドラマ、私は毎週見ていたし、後年DVDで復刻された時は、飛びついた。
私は、佐助も好きだが、どちらかというと才蔵の方がより好きだ。それは、元々の才蔵の描かれてきたイメージが好きだったのもあるが、「風神の門」からの影響も大きい。
ともあれ、立川文庫で確立されて以来、真田十勇士をけん引していたのが、佐助と才蔵だが、さて佐助と才蔵というスーパー忍者は史実的に実在したかというと、残念ながら答はノーのようだ。
ただし、モデルとなった人物はいる。
猿飛佐助のモデルになった人物として通説なのは、実在したとされる忍者「上月佐助(こうづきさすけ)」。上月佐助は伊賀の下忍で、「下柘植の木猿」とも呼ばれた忍者。
ちなみに、「小猿」という異名をとった忍者もいたらしい。そのへんは、白土三平先生がコミック「サスケ」の中で設定した「猿飛忍軍」にも通じるものを感じる。白土先生は、「サスケ」を描く時に、そのへんの事情も参考にしたのではないか。白土先生の「サスケ」では、主役サスケの父の名前は「大猿大助」であったし。
ちなみに猿飛佐助は甲賀の忍者ということになっているので、木猿と猿飛佐助は実際にはイコールではないので念のため。
また、猿飛という名前は、大正時代の立川文庫の前にも、江戸時代に書かれた軍記「真田三代実記」にも出てくるようだ。真田配下の忍者として。ただ、名前が出てくるだけで、詳細は書かれていない。後の世のスーパースターのような扱われ方ではない。
天才忍者として確立されたのは、あくまでも後世の人たちによってである。
「真田三代実記」は、真田幸隆(幸村の祖父)、真田昌幸(幸村の父)、そして真田幸村の三代の軍記なのだが、内容は史実と違うことも記されている類の書物らしい。
後世の人が「真田十勇士」を書く時のネタ元になった書物とも言われている。
ともかく、そのへんのことを考慮すると、猿飛という名前自体は江戸時代にもあったことになる。
一方、霧隠才蔵のモデルになった人物として通説なのは、実際の真田幸村の忍びにいた霧隠鹿右衛門という忍者。この人物は、一説によると、真田の忍者頭だったという説明もどこかで読んだ覚えがある。霧隠鹿右衛門は幸村の命令で大阪の陣で徳川軍を偵察にいったらしい。
そんな人物らしいが、物語のスターとしては、霧隠鹿右衛門という名前よりも、霧隠才蔵の響きのほうがカッコいいし、凄みもあるし、強そうだし、スター性も感じる。
幸村主役の大河に佐助を幸村の配下として登場させるなら、幸村の元に霧隠鹿右衛門がいたということを考えれば、才蔵も出してほしいと個人的には思う。
ただ、現代においては、才蔵よりも佐助のほうが知名度は高い。
「さすけ」という響きは、某サバイバルスポーツ系の番組のタイトルになったりもしてるし、昔は飲料水の名前にもなったことがある。
猿飛佐助は、忍者の代名詞みたいな捉えられ方をされている・・それが現状であろう。
佐助も才蔵もどちらも好きな私ではあるが、あまりにも佐助の知名度のほうが勝ち過ぎている現状を考えると、つい才蔵を応援したくもなっている。
おい、霧隠才蔵、もっと頑張れよ。君は佐助と同格のスターであったはずだ。実力的にも互角だったはずだ。子供たちの間で、かつては佐助と人気を2分したほどじゃないか。
君にとって佐助は盟友でありながらもライバルであり、真田十勇士を君は佐助と共にけん引した実力者じゃないか。
クールでイケメンで、かっこいい天才忍者・・そういうイメージなら、美形の俳優が君を演じてくれるはずだし、本来の人気を取り戻せる要素は十分にある。
君はそういう潜在力がある、得難いキャラなのだから。
そんなわけで、皆さん。猿飛佐助もいいけど、霧隠才蔵もお忘れなく!
と私は言いたい。
きりがくれ・・・という響きが、まずカッコイイじゃないですか。
子供の頃、偶然ラジオから録音したクリスタルキングの「時間差」。気に入って何度も聞きました。
https://www.youtube.com/watch?v=yWtGvy9c9a8
三浦浩一さんが、いかにも忍者という感じで走っている
そして、ちょっと余所見をしたら転んで泥だらけ(?)になるのもいいですね
>猿飛佐助もいいけど、霧隠才蔵もお忘れなく!
前者がアカレンジャー。後者がアオレンジャーみたいなものかな?
最近「風神の門」のDVDは見返してないので、またそのうち見返してみようと思います。
あのドラマでは、敵役の獅子王院も好きでした。
最終回近辺では、むしろ獅子王院のほうに感情移入してました。
佐助と才蔵は、やはり真田十勇士の2トップだと思います。
そして、家康を狙って飛ばす小刀(棒手裏剣?)。家康の孫の玩具で阻まれる
獅子王院が「あいつらは勝っていた。でも運に負けたのだ・・・。」と言う場面が良かったです