大学時代の後半のあたりから社会人になってしばらくの間、私はほぼ毎日酒を飲んでいたと思う。
たまに抜くことがあったのは、二日酔いの日ぐらいだった。
ひどい時は、午前中は二日酔いで苦しくても、夕方になって体調が回復してくると、その日の夜も飲んでた気がする。
ともかく・・飲んでた。
酒を抜く日を、中々つくれなかった。というか、そういう日をつくる意識は希薄だった。
それがある時を境に、休肝日を作ることができるようになった。
それは20代後半の頃。
友人と伊豆に旅行に行き、海辺の岩場で足をすべらして落下し、落下して下の岩に腹の左側をうちつけた衝撃で肋骨を数本折ってしまい、医者に行ったら体に「さらし」を巻いた状態にされた。湿布と共に。
で、しばし風呂も酒も禁じられた。
いわゆるドクターストップである。
さすがに肋骨を骨折してしまっていては仕方ない。おとなしく医者の忠告に従うことにして、毎日飲んでた酒をしばし抜くことにした。
無理して回復が遅れたら、そちらのほうが嫌だからだった。
医者の言うことを聞いて、少しでも早く治し、早くまた風呂に入ったり、心気なく酒を飲めるように戻りたい一心で。
なにせそれまで毎日のように酒を飲んでたものだから、当初はどうも夜が物足りなかった。
仕方なしに、酒の代わりにウーロン茶を飲むことにした。
そんな数日が続くと・・・とりあえず、それで喉をごまかすことができるような感覚になれた。
もちろん、ウーロン茶で酔っぱらうわけはない。
その点は物足りなかった。
でも、何かしら「飲んではいる」という状態ではあったので、酒の我慢にはつなげられた。
まあ、この場合「いずれ酒飲みに復帰できる」「治ったら飲める」という前提があったからこそだったとは思うが。
そんなことがあってから、夜とりあえず「何か飲む」ことができれば、酒を我慢することができるようになった。
やがて骨折も回復し、私は元通り風呂にも入れるようになり、酒もちびちびまた飲み始めた。
だが、怪我前と違っていたのは、酒をウーロン茶などで代用する日を作れるようになったこと。
それ以来、休肝日というものを多少なりとも意識するようになった。
毎日酒を飲まなくても大丈夫になっていった。
その後・・・私は休日の前の日の夜しか酒は飲まないようになっていった。
翌日が仕事の日は、飲まないのが普通になった。
そして今は・・翌日が休日でも、その気になれば飲まない日を作れるようになっている。
こうなると、私は酒に関しては自己管理できていると思っている。
おどろくなかれ、フォーク居酒屋などに行っても、酒を飲まずに済ますこともある。
まあ、その場合は、ライブ目当てだから、それでも大丈夫。
さすがに普通の居酒屋に行って酒を飲まない・・なんてことはないけれど。
だいいち、普通の居酒屋に行って酒を飲まないのでは、なんのために居酒屋に行ってるのだということになる(笑)。それなら普通の定食屋やレストランでもいいわけだし。
もっとも最近は、酒を飲んでも、昔ほどの量は飲めなくなっている・・というのもあるけど。
ともあれ、大学時代後半あたりから20代後半までは中々休肝日が作れなかった私にとっては、骨折があったから休肝日を作れるようになったようなものだ。
正直、その時の骨折は、今でも「古傷」として、気候が寒くなると少し違和感がぶりかえすこともあるし、決して私のために良い出来事だったはずがない。
でも、そのおかげで休肝日を作れるようになったということで、多少のプラスもあったことになる・・・そう思うことにしている。
もしその怪我がなかったら、私はアル中になっていたのかもしれない。
ほんと、何がどこで役に立つかわからないものではある。
いや、この場合、「捉え方」の問題なのかもしれないね。
お酒好きな方、あなたは休肝日なるものを作っていますか?
ゴールデン街なんて、通な飲み屋街ですなあ。
学生時代の私のバイト先の近くでした。
休肝日を、アル中になる前につくる習慣をつけたことは、すごく賢明なことだったと思います。
休日には、オリジナル・カクテルを作り、「これを店で出してみよう。名前は「愛ちゃんの涙」(笑)」などと計画しながら、また飲んでいたくらいです。
さて、だんぞうさんは本当に“怪我の功名”でしたね。
私も呑みすぎで倒れて、ドクターストップがかかるまでは、「休肝日」など、全く考えていませんでした。
私は呑みすぎて、真冬の道で寝たり、散々でしたから、早いうちにストップを受けて良かったです。
水商売を辞めて、何年も経ちますが、やはり心身共に健康になってきましたよ。