時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

裏切り者と呼ばれた人

2014年09月22日 | 日々の、あれこれ

不本意な一生を送った人・・・というのは、いつの時代でも、どこの国でもいるはず。

いや、むしろ自分の理想通りにいかなかった人生を送った人のほうが、圧倒的に多いのではないだろうか。

 

明智光秀。

言わずと知れた、本能寺の変で信長を討った人物であり、それまで織田家の家臣として、筆頭クラスの出世を果たしていた、優秀な武将である。

有名な武将ゆえ、歴史に興味がない方でも、その名前は知っているはず。

私が今ほど歴史に興味が無かった子供の頃でも、当然光秀の名前は知っていた。

その頃の私の光秀のイメージは、「謀反人」であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

実際、謀反人であることは間違いないのではあるが、「謀反人」という言葉のイメージ上、光秀のイメージは決してポジティブなイメージではなかった。

だが、その後歴史が好きになり、色んな本を読んだり、映像作品を観たり、実際に現地に旅したりするようになった。

最近でもテレビの歴史番組などでは光秀は取り上げられることは多い。

そして、作品によって、様々な描かれ方をしている。悪くないイメージで描かれることもあれば、ダークな印象で描かれることもある。

 

さまざまな作品を見れば見るほど・・・仮にダークな描かれ方をされた作品を観ても、私は明智光秀をどうも嫌いになれないでいる。

むしろ、シンパシーを感じることも多い。

今では私は光秀は、どちらかというと好きである。

謀反を起こしたことは事実であるし、主君であった信長を討ったのも事実。

その事実だけを見れば、確かに主君への裏切り者であるし、主君を裏切ったということは忠義の人とは言い難い。

だが、色んな資料や番組や文献を見るにつけ、光秀の境遇に少し同情したくなる思いも、わいてきている。

 

光秀は、身の周りの人たちに優しい人物であったらしい。

だから、彼の統治した国では彼は民に慕われていたようだし、今でも彼が統治していた国では「名君」として親しまれているらしい。

 

ただ、秀吉に比べると、根回し、裏工作、情報収集、ハッタリ、などの点では一歩及ばなかったのかもしれない。それと、身の周りの人を大事にする思いが、結果的にあの結末につながったような気が私はしている。

教養という意味では光秀の方が上だったとは思うが。

 

光秀に同情する思いを私が持っているとはいえ、私は織田信長という人物は、決して嫌いではない。

信長のこと好きか嫌いか・・・と聞かれれば、私はすぐに「好き」だと返答する。

ただ、その「好き」という感情は、あくまでも信長を、歴史上の人物として、そのキャラクター性や激動の生涯や、先見的な発想の持ち主という意味での「好き」である。

あの時代に、出るべくして現れた人物のような気もしている。彼が登場しなければ、他の人物が天下統一のために動いていたであろうし。

 

だが、もしも、私があの時代の武士だったとしたら、決して信長には仕えたくはない。

もしも、今の時代に信長がいたとしても、とてもじゃないが友達にはなりたくない。

まあ、もっとも・・・信長の方でも私になど用は無いだろうが(笑)。

 

つまり、物語上のキャラクターとしては魅力あるし好きだが、リアルにつきあう人物としては、遠慮したい・・・信長とは私にとって、そんな人物である。

 

光秀が信長に謀反を起こした理由は、日本史上の謎として、様々な意見が出されている。

実際のところは、正直今となっては真相は分からない。そしてそれは今後もそうであろう。タイムマシンがない限りは。

巷ではそれは、「龍馬暗殺」と並んで、日本史の謎としてはトップクラスの「謎」とされている。

きっと、理由は一つだけではなかっただろうし、様々な理由が重なってのことであろう。

あんな大事件、たった一つのピンポイント的な理由だけで起こることとは思えない。

 

信長が光秀に出した無理難題、理不尽な移動、暴力沙汰、衆人環視の中での罵倒、また、過ぎた昔のことを執念深く持ち出しての家臣の解雇、その他・・などの要素を考えれば、今でいえばパワハラの極致もあったろう。

 今であれば、パワハラ訴訟になるのではないか。しかも、その裁判は、信長の敗訴になる可能性は高いのでは。

まあ、当時と今とでは価値感が違うとはいえ、信長の光秀に対する仕打ちは、けっこう酷いものがあったようにも思える。

 

もっとも、信長の時代には、まだ裁判所なるものはないから、裁判がどうのこうのと言っても仕方ないのではあるが。

 

ともあれ、それらのことを考えると、明智光秀を単なる「謀反人」とか「裏切り者」として捉えてしまうのは、それは少し単純すぎる気はする。謀反がもし「罪」であり「犯罪」であるなら、その犯人である光秀には情状酌量の余地は大いにあるようにも思う。

 

信長は心理学用語でいう「サイコパス」であった・・・という見方をする人がいることを考えれば、信長に仕えることは、相当難儀なことだったのは確かであったろう。

やはり私は・・・・信長さんとは友達にはなりたくない(笑)。歴史上のキャラクターとして大好きではあっても。

ちなみに、昔ある番組で検証してたのだが、信長を、その肖像画から研究すると、甲高い声の持ち主であったはずだ・・とする検証結果が出ていた。

また、信長は癇癪持ちでもあったという。

その一方、女性には優しかったという面もあった。

たとえ1人の人間であっても、色んな面を持っていたりするが、信長もまたしかり、光秀もまたしかり。

 

最近では、例えばゲームや映画や小説やテレビなどの影響で、光秀のイメージはだんだん復権されてきてるようにも思える。

 

となると・・

 

大昔・・・歴史上、ずっと「謀反人」「裏切り者」のイメージで捉えられていたであろう光秀も、最近はだいぶ救われてきてるのではないか。

美形として描かれたり、二枚目役者が明智役をこなすことが多いことでも、それは分かる気がする。

 

 

 

さて・・

明智光秀さん。

現代でのあなたの捉えられ方を、貴方は今どう思っていますか? 

と、私は光秀に問いかけてみたい気はする。

 

 

とりあえず・・

いくら上下関係の序列はあっても、それをかさに来て、立場が上の人間が、下の人間に対して限界を超えた仕打ちをしてしまうと・・・・しっぺ返しは来る。

それだけは、「本能寺の変」事件から、現代人もよく肝に銘じておかねばならないとは思う。

 まさに、おごれるものは久しからず・・・なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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