私の亡き祖母の家は、古い古い民家であった。
田舎だったから、家も古かったんだろう・・ぐらいの認識を私は持っていた。
だが、どれぐらい古い民家だったのかまでは知らなかった。
近年知ったのだが、祖母の家は少なくても幕末の頃にはすでにあったらしい。
というのは、私の先祖は幕末の時代に戊辰戦争に参加していた侍大将だった武士らしいのだが、祖母の住んでた古い民家は、その武士の邸宅であったらしいのだ。
幕末に戊辰戦争に参加した先祖が住んでいた民家に、そのままそのその武士の一族が住み続けて、私の祖母も子孫としてそこに住み続けていたらしい。
私の祖母は、明治生まれだった。
なので、幕末の頃にはまだ生まれていない。
私の先祖の武士がいつ亡くなったのかは私は知らない。
ただ、その武士の名前はわかっている。
当然私の祖母の苗字と同じだ。
ちなみに、先祖のその武士の袴が、まだ私の実家に残っている。
一度その袴を私ははいてみようと思い、試したことがあった。
だが、小さくて、とてもはけなかった。
小柄な人物だったのだろう。ただ、あの時代は、今の日本人よりも身長の平均相場は違うから、当時の相場では私の先祖は平均だったのかもしれない。
その武士の娘が私の祖母だったのか、あるいはその武士の息子の嫁に来たのが私の祖母だったのか、またはその侍の息子か娘の子供が私の祖母だったのかもしれないし、あるいはその武士の子供の嫁に来たのが、そうだったのかもしれない。
そのへんのことは、私はまだ調べていない。
いずれ分かる日もくるかもしれない。
ともあれ、私の祖母が暮らしていた家は、前述の通り、遅くても幕末の頃からあった家だった。
私は祖母の家に何度か行ったが、一番最初に行ったのは、私が幼少の頃。まだ幼稚園に入る前の頃。
今となってはかなり昔のことではあるが、初めて私がその祖母の家に行った時の光景はまだ覚えている。家の中も、家の周りの風景も。
それだけ印象に残ったということだ。
家はけっこう広かった。奥に細長い家だった。
部屋はいくつもあり、床は土間だった。部屋と部屋は、短い渡り廊下みたいなものでつながっていた。
基本は平屋だったが、実は2階もあった。だが、2階はもっぱら「物置」として使われており、普段人が2階に行くことはなかったと思う。
ちょっとした「蔵の中」みたいなものだったのだろう。
2階の物置は、人がほとんど行かないから、そこに残されていたものや、床などは多分埃まみれだったのではないか。
ただ、母の話によると、母がまだ子供の頃には2階には日本刀や武具なども残っていたらしい。
残っていた日本刀の切れ味は、相当なものだったらしい。
だが、日本刀は、日本が太平洋戦争に負けた時に、没収されたとのこと。
なので私はその刀は見ていない。
その祖母の住んでいた家に、次に私が行ったのは、小学校高学年の頃・・だったと思う。
その時は、祖母の家は奥のほうが閉鎖され、家の中の面積は、ずいぶん狭くなっていた。
奥行きがあって細長かったはずの家は、前の方の部屋2~3部屋ぐらいだけになっていた。
奥の方は、板の壁で遮られていた。たぶん、奥の方は、売却されたのだろう。
だが、祖母が1人で住むには、道沿いの「前の方の部屋2~3部屋」あれば、それで十分だったのだろう。
私が幼年の頃に行った頃のような広さでは、祖母が1人で住むには広すぎる気もしたから。
ただ、奥の方がなくなったの祖母の家は、私や私の親を含む「一族」が何家族分も一気に揃って訪問するには、ちょっと狭かった。昔の家族は大家族だったから、親族が揃って訪問すると、当然祖母の家の中は人でいっぱいになった。
まあ、祖母は普段は1人暮らしをしていたし(祖母の夫・・私にとっては祖父・・は、私が生後6カ月の頃に他界したらしい)、家族が揃って訪問するという機会は、そうはなかったし、そんな「めったにない機会」のために、たった一人で広い家の中で暮らしているわけにもいかなかったのだろう。
この時、私は、祖母の家は奥行きのある広い家のままのイメージで再訪したので、家が狭くなっている状況には、少し寂しくなった。
部屋がいくつもあって、渡り廊下みたいなもので部屋と部屋を移動する・・などという内観は、都心ではまずお目にかかれない間取りだった。だから、その再訪の時は、そんな体験を幼少の時以来再び味わえる・・と思って、楽しみにして行ったものだから、なおさら。
で、祖母の住んでいた地域に行った3回目は、私の記憶では大学の頃。
祖母が亡くなったので、その葬儀のために行ったのだった。
その時、祖母の暮らしていた家に行ったかどうかは、実はよく覚えていない。
仮に祖母の家に行ったとしても、もうその家の主はいないのだから、行かなかった可能性もある。
だが、少なくてもその時は、祖母の家はまだ残っていたのは確か。祖母が亡くなってからしばらくは、祖母の家は主のいないまま放置されていたはずだから。
そして・・今から数年前。
私は久々に祖母の家があった場所に行った。もう、祖母の家はとうになくなっているのは分かっていたうえで、行った。
祖母の家があった場所が、今はどうなっているのか知りたくて。
で・・祖母の家のあった場所は、雑草が生える「空地」になっていた。
祖母の家がないことはあらかじめわかっていたのに、いざ自分の目で、そこが「空地」になっている光景を見てしまうと、色々な思いが心に去来した。
しばし私は、その空地に佇んでいた。
ここに、あの古い民家が建っていたんだよなあ・・などと思って。
雑草が風に揺れていた。空は高く広がっていた。その日、よく晴れていた。
私の伸ばす影が、私の身長を引き延ばして地面に横たわっていた。
祖母の家の跡地の隣には民家があり、その家の住人であろうご老人が玄関から出てきて、なにもない空地に長く佇んでいる私を怪訝そうに見ていた。
よっぽど私は、その老人に、「この空地に昔建っていた民家に住んでいたのは、私の祖母だったのです」と伝えようかと思った。
それを言えば、そのご老人はおそらく怪訝そうに私を見ることはなかっただろう。
もしかしたら・「ああ! ○○さん(←私の祖母の名前)のお孫さんでしたか」と言って、あれこれ祖母の話をしてくれたかもしれない。年代的に、私の祖母のことを知っていてもおかしくない年齢のご老人だったから。ましてや、お隣さんだったのだし、もしそのご老人がその民家に長く暮らしている方だったなら、なおさら。
「お婆ちゃんの住んでいた家のあった場所に、会いにきたのです」とでも言えば、さらに。
その空地にかつて建っていた祖母の家が江戸時代に建てられた家であったことを思うと、それを保存しておけば、年月のご褒美で、かえって大切に扱われるようになったのかもしれない。
でも、それを維持させる力は・・私にはなかった。
それが残念。
古文書が出てきたり、面白い発見もあったかもしれません。
私も、ずいぶん昔になりますが、お父さんの田舎でいらっしゃる大分県杵築市で、住居とは別に大変古い木造家屋がありました。
中に入ると、倉庫として利用されているらしく、子供だった当時の私には、全く面白くない場所でした(笑)
やがて、その木造家屋は無くなり、住居であった家屋さえも無くなりました。
跡地には、改めて小さい家屋が建設され、そこに私たちの家族や親戚が集うことになっています。
だんぞうさんの場合は、いつまで空き地にしておくのでしょうね…?
様々な思い出がある場所は、家屋や建物は無くなっても、大切に保存しておきたいですね。
幕末の頃の何かもまだ残されていたかもしれませんし。
古い木造の建物は、場合によっては歴史的な価値があるものもあるでしょうけど、現代においては耐震基準の問題もありますし、維持していくのは大変だと思います。
コストもかかるんでしょう。
だとしたらかなりの経済的な余裕がないと難しいのかもしれませんね。
今は空き地になってるはずの、祖母の家があった場所が今後どうなっていくのかな・・などと思ったりします。
自分としてはどうなったら嬉しいか・・その答えは中々出せないでいます。