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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

上田城跡公園(私の上田旅行記 5(終))

2016年11月29日 | 

今回の私の上田旅行の日程は2泊3日。

早くも最終日。

なんか、あっけない感じもした。

 

帰りの新幹線は15時半過ぎ。なので、10時に宿をチェックアウトしてしまえば、そこそこ時間に余裕がある。

この最終日は、上田の町のメインスポットである「上田城跡公園」を見てまわることに決めていた。

その予定があったから、1日目も2日目も、あえて上田城の中には入らなかったのだ。

まあ、公園敷地内にある大河ドラマ館だけは前日に見ておいたけれど。

前日に大河ドラマ館を見てしまえば、ある程度余裕を持って上田城跡公園を散策できるはず。

 ↑ 上田城跡公園の入り口。時期的に、紅葉の上田城。

 

 ↑ テレビなどでもさんざん取り上げられている、上田城の正門。左右に櫓がひかえる、おなじみの風景。

 

 ↑ 上田城の南櫓。ここには入れるぞ。

 

 

 ↑ 櫓の案内板。上田城に現存している櫓は、南櫓と北櫓と西櫓。

 

まずは地元のシルバーボランティアによる無料ガイドに同行。

せっかくの無料ガイドなのだし、同行しないのはもったいない。

これが大体30分ぐらい。

 

 ↑ 上田城にある石垣の石のうち、もっとも大きな石。真田石と呼ばれている。門のすぐ横にあるので、すぐに見つかる。

 

その後、フリーになって、散策開始。まずは、この公園の中心であろう真田神社へ。

前日訪れた山家神社の隣にあった真田神社とは別物。

ともかく人が多かった。

 

 ↑ 上田城の真田神社の案内板。

 

 

↑ 上田城の真田神社。賑っていた。 

 

↑ 真田一族は、何百年にも渡ってこれだけ人気があり続けることを、生前予想しただろうか。 

 

その後、現在残されている櫓の中を見学。

櫓には、城が攻め込まれた時に敵を倒すための狭間(さま)があり、中には狭間(さま)から敵を撃つマネごとができるように、火縄銃まで置いてある場所もあった。

 

↑ 上田城の櫓は、明治維新後、移築され遊郭の建物として利用されていたそうな。やがて市民運動で買い戻され、元の場所に戻されたそうな。

 

 ↑ 中には、展示物も。

 

 

 

火縄銃を手にし、狭間から銃口を出してかまえてみれば、気分は籠城戦(笑)。

 ↑ 鉄砲が設置してあり、来訪者はこれを手にして構えて、狭間から銃口を出して、狙撃するマネをすることができる。

 

櫓の中には、江戸時代のものがそのまま現存しているものもあり、かなり貴重な櫓だと言える。西櫓がそうだ。

 

↑ 西櫓の案内板。江戸時代のものがそのまま現存している貴重な櫓。 

 

 ↑ よし、西櫓に向かってみよう。

 

 

↑ 西櫓の近くから、眼下の尼ケ淵方面を見下ろす。戦国時代は、この眼下には千曲川の支流が流れていたのだ。 

 

↑ 普段は常時開放されてるわけではないようだ。 

 

 

↑ 西櫓から上田の町を見下ろす。町を走る新幹線の向こう側に千曲川はあるようだ。 

 

 

 ↑ 西櫓の狭間。下は尼ケ淵。

 

 

公園内には多数の木があり、時期的には紅葉シーズンの真っただ中だったせいか、木々の葉っぱの色合いが実に鮮やか。

 

 ↑ 紅葉の季節ならではの風景。カラフル。

 

 

↑ いい色、出してます。 

 

 ↑ 西櫓と紅葉。

 

この城跡公園内には、今は本丸はない。

だが、戦国時代には本丸もちゃんとあったようだ。

 

 ↑ 上田城本丸跡の碑が。このへんにあったのか。

 

 

そういえば大河ドラマ「真田丸」では、城の石垣のすぐ下に川が流れている光景がよく流されていた。

上田城の石垣の真下には、昔は千曲川の分流が流れていた。そしてそれが堀の役目にもなっていた。

だが今は石垣の下は整地され、広場になっている。

なんでも、千曲川の浸食により、石垣の真下の崖が削られていくのを防ぐため、後世になって千曲川の流れは別の場所に移されたのだ。

今では、新幹線の線路の向う側に千曲川は流れている。

 

ということは、かつて千曲川が流れていた「城の石垣の真下」に立って、城を見上げることができるはず。

そこは尼ケ淵と呼ばれる場所で、そこから見上げる上田城の櫓の風景は格別らしい。

これは行ってみるしかない。

そう思い、階段を下り、尼ケ淵のあたりから上田城の櫓を見上げてみると、なるほど、こりゃ確かに絵になる。

カッコイイ。

 

 ↑ 尼ケ淵の案内板。

 

 ↑ 尼ケ淵に降りてきた。そしてさっそく西櫓を見上げてみた。

 

 

↑ 尼ケ淵。今は道や芝生になっているが、ここを昔は千曲川の支流が流れていたのだ。 

 

 ↑ 尼ケ淵から見上げる西櫓。かっこいい。

 

 

 ↑ 尼ケ淵から見る、上田城南櫓。これもかっこいい風景だ。

 

ドラマ「真田丸」でも何度も見た、下に川が流れる上田城・・・その風景の現在の「本物」が、まさにこれ。

これを見ると、ドラマ「真田丸」の上田城の外観は、しっかり再現されていたんだなあと実感。

戦国時代の上田城は、まさに「真田丸」に出てきた上田城のような風景だったのだろう・・ということが、理解できた。

 

↑ おまけ。観光客用だね。真田十勇士に囲まれた幸村の顔の部分から顔を出して、観光客は写真を撮るわけだ。ちなみに、この真田十勇士のキャラは、上田の町にあちこち散らばっていた十勇士モニュメントと同じキャラ。

 

 

上田城を散策してたら、けっこう時間がつぶせて、腹も減ってきた。

昼飯には何を食べようかな・・と思い始めた時に、ふと思い出したものがあった。

それは、大河ドラマ館の売店で売っていた弁当。

前日は売り切れで買えなかった。

だが、この日なら?・・そう思い、大河ドラマ館の売店に行ってみたら、かろうじて3箱残っていた。

まごまごしてたら、この日も売り切れ必至。数量限定販売らしいし。

急いで弁当を手に取り、確保。

 

で、ベンチに座り、弁当箱の箱をあけたら、これが中々豪華な弁当。

当初、ご飯の量が少ないかなと思ったが、おかずの種類が多いので、満足度高し。

ご飯にしても、栗と茸の炊き込みご飯。

こりゃ1000円は安いのでは?

もしも駅弁として、どこかで売り出したら、かなり売れるのではないだろうかと思った。

 

↑ 大河ドラマ館の売店で売ってた、「真田三代味めぐり弁当」。駅弁として常時販売すれば、かなり人気が出ると思うのだが。 

 

 ↑ 真田三代味めぐり弁当の中身。どれも美味しかったが、特に長芋コロッケはグッドなり。

 

ベンチで真田丸特製弁当を食べた後、更に城跡公園を散策。

 ↑ 二の丸北虎口方面。向こうは現在陸上競技場になっている。ちなみに、この競技場では、上田城の堀の勾配の地形を活かして、観客席として利用されている。

 

 

↑ 二の丸北虎口の案内板。

 

 

↑ 掘りの跡。今では御覧の通り、散策路になっている。 

 

 ↑ 掘りだった部分に降りてみた。今ではしっかりとした道になっている。格好の散策路。

 

↑ 行きかう人、多し。この道は昔、電車が走っていたそうな。ということは、この散策路には昔線路があったはず。 

 

 ↑ この道を走っていた電車、ちょっと乗ってみたかったかな。

 

↑ 今も残る、上田城の堀。 

 

↑ 上田城の堀の一部では、地形が角ばっていなくて、 御覧の通り、地形の隅がなだらかにしてある個所もあった。隅欠(すみおとし)と言うそうな。

 

↑  隅欠の案内板。

 

 

↑ 上田城正門近くにあった「平和の鐘」。紅葉の色に溶け込んでいるようにも見えた。 

 

 ↑ 平和の鐘、案内板。

 

 

上田城跡公園の敷地内にある2館の博物館を見たりしてたら、そろそろ駅に行った方がいい時間になった。

 

↑ 上田城跡公園、全体マップ。 

 

 ↑ 上田城跡公園の入り口前を走る道の風景。城跡公園の入り口はこの写真には写っていないが、方角的には、この写真の左側に城跡公園入り口がある。この写真の左方向にまっすぐ進めば、上田城跡公園入り口だ。

 

 

で、私は上田駅に戻った。

 

帰りの新幹線を待つために。

 

上田は東京よりもやや寒い気がしたが、全体的に天気に恵まれた旅行になった。

 

良い天気をありがとう、上田の空の神様。

 

やがて私を乗せた新幹線は、一路東京に戻るために、上田の町をあっと言う間に後にしてしまった。

 

東京で暮らす私にとって上田の街は距離的には再び離れてしまった。だが、心の中での距離は近いまま、今がある。

 

 

 

 ↑ さらば上田の町。


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