シリアの過激派勢力の人質になり、やがて解放された安田純平さん。
その報道はやっと少し落ちついてきた感があるので、ここで少し取り上げてみたい。
その解放と帰国で、安田さんに対する様々な意見が日本中で出された。
今回の件に関して、私が一番感じたことがある。
それは私が安田さんを批判するか、それとも擁護するかという問題ではなく。
私が感じたのは、メディアやマスコミと、世論の意見の隔たりであった。
こうも世論と、メディア・マスコミの考え方には違いがあったのかということ。
今回の件では180度違うような印象を持った。
特に、安田さんが帰国したばかりの頃。
安田さんが帰国した時、メディア・マスコミはすぐに安田さん擁護の報道を始めた。
擁護するどころか、安田さんを英雄化する論調の報道を始めたメディアもあったし、ジャーナリストもいた。
だが、世論の方は大半が安田さんを批判する声であふれていた。
メディア・マスコミ、ジャーナリストは、自身の影響力で安田さん擁護や英雄化の方向に世論を誘導しようとしていたように見えた。
また、それができるとも思っていたのだろう。ネットが登場する前のように。
だが、ネットの反応もあり、世論は安田さん批判の声がどんどん大きくなっていった。
中には「メディアには騙されないぞ」「メディアの言いなりにはならないぞ」などの主旨の声もあった。
メディアが安田さんを批判する世論を批判すると、世論の中には「メディアはよく言論の自由という言葉を持ち出すではないか。ならば世論の声も言論の自由だ」と返す声もあった。
その推移を興味深く見ていたら、しまいにはメディア・マスコミやジャーナリストが安田さんを擁護したり英雄化しようとする報道をすればするほど、世論はそれに反発するかのように、かえって批判の声が大きくなっていった。
その様子は、完全に逆効果だった。
マスコミやメディアの意図を、世論が見透かしていたり拒絶しているかのようであった。
ちょっとやそっとの違いなら、今でもある程度は世論誘導もできたのかもしれないが、姿勢・捉え方が正反対だと、さすがにもう世論誘導は出来なくなっているようだ。
ネットがなかった時代と、ネットがある現代との違い。
それを私は今更のように実感。
マスコミ・メディアは、ネットのなかった時代のような影響力の継続を想定していたのだろう。
じゃなかったら、世論と180度違う見方をして、それを広めて、自身の業界の意見に世論を持っていけるとは思わないと思うのだが・・。
だが、今回、あらためて、世論とメディア・マスコミの意見のかい離が、はっきり示される結果になってしまった。
安田さんの帰国は「賛否両論の意見がある」とされたが、世論の多くは批判の意見だった。
だが、もちろん少数派ではあったが、世論の中にも安田さん擁護の声はあった。それもまた意見。
ただ「賛否両論」・・という言い方だと、擁護派と批判派がまるで半々であるかのような響きを感じた。
だが、世論の現実は多くが批判であり、ごく一部が擁護派であった・・・というのが現状に思えた。
そしてごく一部である擁護派の中には、マスコミ関係、ジャーナリストなどの同業者が目立った。
特にジャーナリストは、必死になって擁護を続けた人が多かった。時には感情的でもあった。
そんな様は、一歩引いて見てると、私は少し違和感を感じた。
こうも感情的な人が記事を書いているのか、、と思って。そこに、いくばくかの危険性も感じた。
でもまあ、感情的にかばいたかった気持ちも、わかる。
ジャーナリストは安田さんと同業者だから。
というのは、ジャーナリストである以上、取材内容や場合によっては、いつか自身も安田さんみたいな体験をすることになる可能性もある。そんな時、安田さんみたいに世論でバッシングされたくはないだろう。
なので、安田さんのことを擁護するのは、自身の将来の可能性のためであってもおかしくない。英雄化されれば一番いいが、少なくてもバッシングはされたくない。そういう気持ちがあったとしてもおかしくない。
明日は我が身・・・そんな可能性もあるのだから。
一方テレビの方は、さすがに世論の圧倒的な批判の声を認識し、安田さんが無事に人質から解放された当時の安田さん美化の論調から、少し距離をとった報道になってきたマスコミもあるようになった。
さすがに、大半の世論を無視できなくなったのだろう。
私が思うことは、美化でも批判でもない、ニュートラルな報道姿勢を、最初から見せてほしかった。
メディア・マスコミが、最初からニュートラルな姿勢で報道していれば、あれほどバッシングは強くはならなかった気はしている。
そういう意味では、安田さんバッシングの世論が沸騰したのは、世論とかけ離れた美化報道・世論誘導をしようとしたメディア・マスコミ、ジャーナリストにも原因の一端はあったのではないか。
もちろん、原因はいくつもあるとは思うが、それもまた原因のひとつであることは間違いないとは思う。
ネットの存在で、今はメディアやマスコミも世論に監視されている感がある。ネット拡散のリスクもある。
ネットから得られる情報も大量にあるし(まあ、デマも多いが)。
今は、メディアやマスコミの思惑通りに世論誘導できる時代ではないのだろう。
過去の偏向報道などの問題で、メディア・マスコミの信頼性も薄らいできている。
今は世論に見透かされることもある。
新聞が発行部数が落ち、テレビの視聴率も昔ほどはあがらなくなった(サッカーワールドカップやオリンピック、限られた話題ドラマの最終回は別として)。
新聞離れ、テレビ離れ・・という言葉を見受けられるようになってからもう久しいし。そういう現状は、上記の現実を反映していると思える。
だからこそ、メディアの真の意味での公明正大さ、あるいはニュートラルさが求められるのではないだろうか。
今大事なことは、世論からの信頼を取り戻すことではないだろうか。
世論にあまりにすり寄って煽るのも危険だが、かといって世論からあまりにかけ離れた論調は支持を得られないと思う。
また、世論も、マスコミ・メディアの意見は「世の中の一部の意見」でしかないことを肝に銘じて、それが全てであるかのように受け入れず、ネットなどからの情報などとも照らし合わせで、見極める姿勢が大事なのだろう。ネットにはデマもあることをも念頭において。
ともかく、今回の安田さんの件で、世論とメディア・マスコミの意見の相違は、より白日のもとにさらされることになった。
メディアが自分の考えを世論にしようとしたが、もうそれができる時代ではなかった。。
はからずしも、世論対メディア・・・そんな感じにも思えた。
私にとっては、安田さんへの批判や擁護より、そちらのほうが興味深かった。
ある意味、良い機会になったのではないかと思う。
メディア、マスコミの意見が全てではないし、正しいとは限らない。
ネットの情報が全てではないし、正しいとは限らない。
そういうことを念頭において、次々に届けられる情報に我々は接していかねばならないのだろう。
世論にあまりに流されすぎず、かといって世論を無視して世論からかけ離れた意見をのべることもなく。
メディア・マスコミは今回の安田さん報道で浮き彫りになった問題を課題にして、視聴者や購買者からの信頼を取り戻していってほしい。
これからもメディアやマスコミは必要なのだし、その未来のためにも。
いくらテレビ離れ、新聞離れの風潮があったとしても、なくなってしまうと困る存在だと思うので、なおさら。
マスコミによる世論誘導に庶民が流されなくなったことは、健全な民主主義社会を築く上で極めて重要なことです。
しかし、ネット世論は、年齢問わず匿名性で、誰でも発信できるために、相当未熟な意見も大変目立ちますね。
一方、マスコミ出演者である有識者の方が実名と顔を公開しながら発表しなければならないため、良識的・良心的とも謂えるでしょう。
しかし、かつて日本マスコミは、大陸侵略や対米英戦争を扇動したこと、第二次世界大戦以後はソビエト・共産中国・北朝鮮を大絶讚したことなど、今となれば良識的・良心的とは断じて言えない風潮を作り出したことも事実です。
「マスコミVS庶民世論」は、永遠なる闘いかもしれませんね。
当時も個人個人でメディアの論調に疑問を感じる人はいたとは思うのですが、当時は個人個人が公に発信する場がなかった。
でも今はネットなどで個人単位でも発信できる場所があるから、状況はだいぶ変わりましたね。