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ジムビーム/バーボン、偉大なる血族の記録
7代にわたりアメリカンウイスキーを牽引
バーボンウイスキー販売数量において世界No.1の座を、1973年から40年以上も保持しつづけているジムビームについてお話しよう。
ケンタッキーの日だまりの心地よさ、温かみのあるジムビームの味わいの歴史は18世紀末を原点とする。
ドイツ移民の子、ヨハネス・ヤコブ・ボーム(アメリカ的にジェイコブ・ビームと呼ばれた)がケンタッキー州バーズタウンに入植したのは1785年のことだった。細々と蒸溜をはじめ、本格的なビジネスとしての蒸溜業を開始したのは10年後、1795年になる。この年をビーム社は創業年としている。
以来、アメリカの禁酒法時代を乗り越え、220年近くにもおよぶ年月をビーム一族は7代にわたりバーボンづくり一筋に生きてきた。
アメリカンウイスキー業界での貢献においては素晴らしいものがある。20世紀、アメリカンウイスキーの発展を支えたのはビーム一族といっても過言ではない。
ジムビームのボトル、ラベル左にその系譜が示されている。ビーム家の繁栄をもたらしたのは19世紀半ば3代目のデヴィッド・M・ビーム。「オールドタブ」という名のバーボンを誕生させ、一世を風靡する。1892年、その息子の4代目ジェイムズ・ベーカー・ビームは姉の夫ハートとともにクリア・スプリングスの谷にオールドタブ蒸溜所を新たに建設して事業をより拡大することになる。
だが、ビーム家のみならず、アメリカ酒類業界が身動きの取れない暗黒の時代がやってくる。1920年からの禁酒法だ。蒸溜業者は消えていくのみ。
20世紀バーボン興隆はビーム家の貢献
ただビーム家は違っていた。長年にわたり築いた富により持ちこたえた。一家は衰退することなく、1933年禁酒法撤廃後、4代目ジェイムズは息子のジュレマイアとともにすぐさま再建計画を立て、クレアモントに新しい蒸溜所を開設する。わずか120日間で蒸溜を再開したとも言われている。
そして1940年、新しいブランド、ジムビームを誕生させる。これはジェイムズ・ベーカー・ビームのジェイムズの愛称ジムを冠したものだ。この時ジェイムズは76歳になっていた。
バーボンウイスキー・ジムビームのブランドを成長させたのは5代目ジュレマイアだが、4代目ジェイムズが「バーボン中興の祖」と呼ばれているのは、禁酒法撤廃後すぐにバーボンづくりを再開させ、アメリカンウイスキー業界を再生、活性化へ導いた功績による。彼が動かなかったら、アメリカンウイスキーの20世紀半ば以降の歩みは遅々としたものになっていただろうし、禁酒法のおかげで巨大化したカナダ資本にすべて飲み込まれていたかもしれない。
ビーム一族のさらに素晴らしい点は多くのウイスキー技術者を育てた点にある。ヘブンヒル・バーンハイム蒸溜所のマスターブレンダーを一族から輩出しており、また他社で活躍するようになったビーム社出身の技術者を含めると30人以上におよぶことでもその貢献度の高さを知ることができる。執筆者:達磨 信 協力:サントリー
13日午後9時、サントリーホールディングスは、ウイスキーやブランデーなどの蒸留酒を製造するアメリカの大手酒造メーカー「ビーム社」を買収すると発表しました。買収総額は約1兆7000億円に上ります。日本企業による外国企業の買収としては最大規模となるものです。ビーム社はバーボンの「JIMBEAM」などを取り扱っていて、サントリーは現在、日本でもビーム社製品を販売しています。今回、ビーム社のすべての株式を取得することに合意しました。サントリーは日本のウイスキー市場が飽和状態とみていて、欧米市場に打って出たい考えです。サントリーはウイスキーや蒸留酒市場で現在第10位。ビーム社は第4位で、小が大をのみ込む形で世界第3位のメーカーとなります。【テレ朝ニュース】
サントリーHDが米ウイスキー大手ビーム社を買収には驚き!!!
小が大をのみ込むことになったのはどういう事情なのか!?
7代にわたりアメリカンウイスキーを牽引してきたのに!?
しかし1兆7000億円とは、、、
Jim Beam Commercial
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